金座・銀座・銭座

幕府が金貨・銀貨・銭貨の鋳造をそれぞれ管理・請け負わせるために設けた鋳造所を何と呼ぶか。
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重要度
★★★

【参考リンク】
金座(Wikipedia)

金座・銀座・銭座 (きんざ・ぎんざ・ぜにざ)

1601年〜1869年

【概説】
江戸幕府が貨幣の鋳造を管理し、特定の御用商人に請け負わせるために設けた特権的な機関。金・銀・銭からなる三貨制度を確立・維持し、江戸時代の経済体制を支える重要な基盤となった。

三貨制度の確立と座の創設

中世の日本では、宋銭や明銭といった中国からの渡来銭が主要な貨幣として流通していたが、戦国時代になると各地の大名が独自に金銀山を開発し、領国貨幣を発行するようになった。天下統一を果たした徳川家康は、経済の基盤となる全国的な貨幣制度の統一を企図し、1601年(慶長6年)に金座および銀座を設置した。これにより、幕府が金貨(計数貨幣)と銀貨(秤量貨幣)の鋳造権および発行権を独占し、全国共通の標準貨幣である慶長金銀が流通する体制が整えられたのである。

金座・銀座の特権的運営形態

金座と銀座は幕府の直営工場ではなく、幕府から特権を与えられた特定の御用商人が鋳造業務を請け負う形態をとっていた。金座では、京都の彫金家であった後藤庄三郎光次が御金改役(おかねあらためやく)に任じられ、江戸や京都などで小判などの金貨鋳造を取り仕切った。一方の銀座は、摂津の商人である大黒常是(だいこくじょうぜ)らが中心となり、伏見や駿府、のちに江戸(現在の東京都中央区「銀座」の地名の由来)などに置かれた。彼らは幕府に運上金(税)を納める代わりに、貨幣鋳造に伴う莫大な手数料収入を得て、その特権的な地位を世襲した。

銭座の特質と寛永通宝の普及

金銀貨にやや遅れて、日常的な少額取引に用いられる銭貨の鋳造を管理するために設けられたのが銭座である。1636年(寛永13年)、幕府は江戸と近江の坂本に銭座を設立し、「寛永通宝」の鋳造を開始した。金座や銀座が特定の商人によって永続的・独占的に運営されたのに対し、銭座は必要に応じて全国各地の有力商人などに「期間限定」で請け負わせる形態をとった点が大きな特徴である。この仕組みにより、全国津々浦々まで幕府の銅銭が大量に行き渡り、中世以来長らく流通していた渡来銭を完全に駆逐して、貨幣の国産化と統一が達成された。

幕府財政における役割と座の終焉

江戸時代中期以降、金銀の産出量減少や幕府の財政難を背景に、幕府は貨幣に含まれる金銀の含有率を意図的に下げる貨幣改鋳(元禄の改鋳など)を度々実施した。金座・銀座はこの改鋳の実務を担い、旧貨幣を回収して質の落ちる新貨幣を鋳造した。この交換比率の差額から生じる利益を出目(でめ)と呼び、幕府にとって極めて重要な財政収入となった反面、度重なる改鋳は激しいインフレーションや経済の混乱を招く要因ともなった。幕末の開港に伴う金貨の大量流出などの激動を経て、1868年(慶応4年)に明治新政府は金座・銀座を接収し、翌年にこれを廃止した。その近代的な貨幣鋳造の役割は、新たに大阪に設立された造幣局へと引き継がれていった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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