遠賀川式土器

高校日本史的重要度
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遠賀川式土器 (おんががわしきどき)

【概説】
九州北部から東日本にかけての広範囲で出土する、弥生時代前期を代表する土器様式。福岡県の遠賀川下流にある立屋敷遺跡での発見に由来し、西日本を中心とした初期の水田稲作技術の急速な伝播ルートを示す重要な考古学上の指標である。

立屋敷遺跡での発見と土器の特徴

遠賀川式土器は、1931(昭和6)年に福岡県遠賀川下流の立屋敷遺跡(福岡県水巻町)で発見された土器群が基準となっている。弥生時代前期の土器の特徴である、実用性に優れた壺・甕・鉢・高坏などの器種から構成され、粘土の帯を積み上げて成形した後に外面を板などで削る「刷毛目(はけめ)」と呼ばれる調整技法や、木葉文(もくようもん)などの線刻文様が施されているのが特徴である。この画一的な特徴を持つ土器が、極めて短期間のうちに広範な地域へ広がっていった。

水田稲作の伝播を示す指標としての意義

この土器の最大の歴史的意義は、水田稲作の伝播経路を視覚的に証明している点にある。遠賀川式土器、あるいはその強い影響を受けた土器は、九州北部から中国・四国、近畿、東海、そして伊勢湾沿岸や中部地方へと急速に伝播した。さらに、かつては弥生文化の波が及ばないとされていた東北地方北部(青森県の砂沢遺跡や垂柳遺跡など)からも出土したことで、稲作技術が極めて早い段階で日本列島を北上していたことが明らかになった。遠賀川式土器の分布は、稲作農耕技術を持った人々が急速に移動・交流を展開した、弥生時代幕開けのダイナミズムを如実に物語っている。

最終更新:
2026年6月18日 @ 11:31

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Q. 義良親王を奉じて陸奥将軍府の実権を握り、尊氏が反旗を翻した際は奥州から上洛してこれを破った若き公家武将は誰か?
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