軍財抱合 (ぐんざいほうごう)
1937年
【概説】
1937年の林銑十郎内閣期において、軍備拡張を進める軍部と、経済の安定を求める財界とが急速に接近・妥協を図った政治・経済的動向。二・二六事件後の緊迫した情勢下、蔵相・結城豊太郎の仲介によって推進された。
軍財抱合の背景と結城財政
1936年の二・二六事件後、広田弘毅内閣の馬場鍈一蔵相が進めた超膨張予算(いわゆる馬場財政)は、軍備拡張を最優先したため、増税や公債の大量発行を伴うものであった。これが激しいインフレーションへの懸念を生み、財界との深刻な摩擦を引き起こした。この事態を受け、1937年2月に成立した林銑十郎内閣は、財界との融和を図るため、日本興業銀行総裁などを歴任した結城豊太郎を蔵相に起用した。結城は、軍部の求める軍事費の膨張を受け入れる一方で、財界の不満を和らげる調整役に徹し、この動きが「軍部と財界の抱合(結託)」すなわち軍財抱合と呼ばれた。
融和の進展と戦時統制経済への地ならし
結城蔵相は、財界の大物である三井合名理事の池田成彬を日本銀行総裁に据えるなど、財界主流派との協調体制を構築した。彼は馬場予算を修正して規模を若干縮小しつつも、軍事費の絶対額は維持するという巧妙な妥協案を提示した。これにより、それまで軍部の急進的な統制経済論に警戒感を示していた財界も、国防強化を前提とした国家統制や産業合理化を受け入れる姿勢へと転向した。この軍財抱合の成立は、同年の日中戦争勃発以降に本格化する、国家総動員体制や戦時統制経済へと財界が全面的に協力していく重要な転換点となった。