読本 (よみほん)
【概説】
江戸時代の中期から後期にかけて流行した、挿絵よりも文章を中心に据えた本格的な長編小説。歴史や伝説を題材とし、儒教的な勧善懲悪や仏教的な因果応報の理念に基づいて描かれた。高い教養と娯楽性を併せ持ち、歌舞伎などに翻案されるなど当時の大衆文化に多大な影響を与えた。
「読本」の誕生と上方読本(前期読本)
江戸時代の庶民向け娯楽出版物には、絵を中心とする「草双紙(くさぞうし)」などが存在したが、これに対して「文章を読む」ことを主体としたことから読本(よみほん)という名称が生まれた。18世紀後半の江戸時代中期、上方(京都・大坂)を中心として成立したのが読本の始まりである。
初期の読本は、中国の白話小説(『水滸伝』など)に強い影響を受けた知識人たちによって生み出された。都賀庭鐘(つがていしょう)らが先駆となり、その後、上田秋成(うえだあきなり)によって大成された。秋成の代表作『雨月物語』(1776年)は、日本の古典文学や歴史的要素と中国の怪異小説を巧みに融合させた傑作であり、前期読本(上方読本)の最高峰と評価されている。
文化の中心の移行と江戸読本(後期読本)の隆盛
18世紀末の寛政の改革(1787年〜)以降、幕府の厳格な出版統制によって風俗を乱すとされた洒落本(しゃれぼん)や黄表紙(きびょうし)が弾圧された。これに代わって、道徳的な内容を含む読本が注目されるようになる。同時に文化の中心が上方から江戸へと移り(化政文化)、江戸を舞台とした後期読本(江戸読本)が隆盛を迎えた。
江戸読本の開拓者となったのは、洒落本で処罰を受けた山東京伝(さんとうきょうでん)である。彼は中国小説の直訳的な翻案から脱却し、日本の歴史や仇討ち伝説に題材を求めた。そして、このジャンルを極めたのが曲亭馬琴(きょくていばきん、滝沢馬琴)であった。馬琴は、儒教的な勧善懲悪や仏教的な因果応報の思想を根底に据え、壮大で劇的な構成を持つ作品を次々と発表した。代表作の『南総里見八犬伝』や『椿説弓張月』(ちんせつゆみはりづき)は、当時の読者層を熱狂させ、貸本屋の普及も相まって空前の大ベストセラーとなった。
浮世絵師との協働と豪華な装丁
読本は「文章を読む本」であるとはいえ、挿絵が全くなかったわけではない。むしろ、後期読本においては、文章の劇的な展開を視覚的に補完するため、一流の浮世絵師たちが挿絵を担当した。葛飾北斎(かつしかほくさい)をはじめとする絵師たちが描くダイナミックで精緻な挿絵は、読本の魅力を大いに高める重要な要素であった。
また、読本は貸本屋を通じて広く庶民に読まれたが、その装丁は和紙の質や木版印刷の技術にこだわった非常に豪華なものであり、当時の日本の出版文化・木版印刷技術の到達点を示すものでもあった。
歴史的意義と近代文学への影響
読本は、単なる娯楽にとどまらず、高度な教養と倫理観を持った本格的な長編小説として、日本の文学史において極めて重要な位置を占めている。そのドラマチックで波乱万丈な物語展開は、歌舞伎や浄瑠璃の題材としても盛んに翻案され、江戸時代の総合的な大衆文化の形成に寄与した。
明治時代に入ると、坪内逍遥らが『小説神髄』において読本の持つ勧善懲悪的な物語性を「作為的である」として批判し、近代的な写実主義小説への転換を図った。しかし、読本が培った伝奇的でロマンあふれる構成力や大衆的な娯楽性は、中里介山や吉川英治らをはじめとするその後の近代大衆文学・時代小説に脈々と受け継がれており、日本文学における物語の系譜を語る上で欠かせない存在となっている。