行政改革(臨調路線) (ぎょうせいかいかく(りんちょうろせん)
【概説】
1980年代前半の日本において、深刻化した国の財政赤字を克服するために推進された、行政機構の簡素化や国営事業の民営化を目指す政策路線。鈴木善幸内閣期に発足した「第二次臨時行政調査会(第二臨調)」の答申に基づき、続く中曽根康弘内閣のもとで強力に断行された。国家の役割を縮小し、民間の活力を導入する「小さな政府」への転換点となった政治・社会改革である。
第二臨調の発足と「増税なき財政再建」
1970年代の二度にわたる石油危機(オイルショック)とその後の不況により、日本政府の税収は激減し、政府は大量の赤字国債を発行して財政を維持していた。これにより1980年代初頭の国家財政は、危機的な累積赤字を抱える事態となった。
こうした状況下、1981年に鈴木善幸内閣は財界の強い要望を受け、土光敏夫(経団連名誉会長)を会長に迎えた第二次臨時行政調査会(第二臨調)を発足させた。第二臨調は「増税なき財政再建」を基本理念に掲げ、安易な増税に頼るのではなく、政府自らの肥大化した歳出をカットし、行政組織をスリム化する(土光土下座に象徴される徹底的なムダ削減)方針を打ち出した。これにより、戦後の高度経済成長を支えた「大きな政府」による福祉・公共事業路線からの大転換が始まることとなった。
中曽根内閣による「三公社」の民営化と規制緩和
1982年に誕生した中曽根康弘内閣は、この第二臨調の答申を100%尊重することを方針とし、行政改革(行革)を最重要課題に据えた。中曽根首相は「戦後政治の総決算」を掲げ、民間活力の導入(民活)による市場の活性化と効率化を推進した。
その最大の成果が、国家が経営していた「三公社」の解体と民営化である。1985年に日本専売公社が日本たばこ産業(JT)に、日本電信電話公社が日本電信電話(NTT)に、そして1987年には長年の巨額赤字と労働問題に苦しんでいた日本国有鉄道が分割・民営化されてJRグループ各社へと生まれ変わった。これらの改革により、公務員数の削減と国家財政の負担軽減が大きく進んだ。
新自由主義への潮流と同時代への影響
臨調路線に基づく一連の改革は、同時代にイギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権が推進した新自由主義(ネオリベラリズム)の動きと深く連動していた。世界的な「小さな政府」への移行期において、日本も市場競争原理の導入や規制緩和を進め、高度情報化社会やバブル経済の到来へとつながる環境が整備されることとなった。
一方で、この改革は光影を伴った。公社の民営化は、当時強力な勢力を誇り、革新政党の支持基盤であった総評(日本労働組合総評議会)傘下の労働組合(国鉄労働組合など)を解体に追い込み、日本の労働運動を大きく弱体化させた。また、効率重視の姿勢は、不採算とされた地方鉄道(特定地方交通線)の廃止などによる地方の過疎化や、福祉サービスの抑制といった社会的格差を生む契機にもなり、その後の現代日本社会の構造的課題を形作る一因となった。