職田

重要度
★★

【参考リンク】
職分田(Wikipedia)

職田 (しきでん)

701年〜

【概説】
律令制において、特定の官職に就いている者に対し、その在任期間中に限って支給された田地。大宝律令の制定(701年)によって本格的に整備された、官人の給与体系を構成する重要な経済的基盤。個人の位階に対して支給される位田などとともに、官僚たちの公務遂行を支える役割を担った。

律令経済体制における職田の位置づけ

日本の律令制における官人への給与制度は、個人の身分(ステータス)を示す「位階」と、実際に従事する「官職」の二本立てに対応して組織されていた。これに基づき、位階に対しては位田(いでん)や位禄が、官職に対しては職田や職分資財などが支給された。

職田の最大の特徴は、それが個人の所有物ではなく、あくまで「官職に付随する土地」であった点にある。官職への就任と同時に支給され、退官や他官への転任、あるいは死亡時には直ちに国家に返還(収公)される原則となっていた。これにより、土地の私有化や特定の豪族による経済権力の固定化を防ぎ、公地公民制を維持しようとする国家の意図が働いていた。

内職田と外職田の構造と特権

職田は、中央官庁の主要官職に与えられる内職田(ないしきでん)と、地方の官職に与えられる外職田(げしきでん)に大別された。

内職田は、太政大臣(120町)、左右大臣(80町)、大納言(40町)といった中央の最高幹部層に支給された。これらの土地は原則として国家への租税が免除される不輸(免税)の扱いを受け、中央貴族の強大な経済的特権を形成する一因となった。

一方、外職田は地方の要衝である大宰府の官人や、各国に派遣された国司(守・介・掾・目)などに支給された。国司の職田は、それぞれの任国の公田(くでん)から割り当てられ、一般の班田と同様に輸租(課税)の対象とされることが多かった。それでもなお、この外職田から得られる地子(小作料)や収穫物は、国司たちが現地で徴税や治安維持などの職務を遂行し、自らの生活を維持するための直接的な活動資金源として機能した。

律令制の弛緩に伴う形骸化と荘園への移行

平安時代に入ると、戸籍の形骸化や班田収授の途絶などにより、公地公民を原則とする律令体制そのものが揺らぎ始めた。これに伴い、職田のあり方も大きく変容することとなる。

地方支配が国司への国政委任(受領化)へと移行する中で、本来は公的な支給品であり任期後に返還すべき職田が、国司によって私領化されるケースが目立つようになった。さらに、有力な貴族や寺社が競って開墾を進め、初期荘園寄進地系荘園が成立していく過程で、国家が管理する公田自体が減少していった。その結果、官人に支給すべき職田を確保することが困難となり、職田制度は名目上の存在へと衰退していった。この職田の機能不全は、古代の律令国家から中世の荘園公領制へと社会構造が移行していく過渡期の変化を象徴している。

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