功田
【概説】
律令制下の日本において、国家に対して多大な功績を挙げた者へ恩賞として特別に支給された田地。公地公民制を原則とする班田収授法において、特例として私有や世襲が認められた「位田」「職田」「賜田」などと並ぶ乗田(じょうでん、例外的な田地)の一つである。
「四等功」に応じた支給基準と世襲制限
律令の規定(田令)によると、功田は国家への功績の度合いに応じて「大功(たいこう)」「上功(じょうこう)」「中功(ちゅうこう)」「下功(げこう)」の4段階(四等功)に区分され、それぞれ支給される面積や継承のルールが異なっていた。
最大の功績である「大功」を立てた者に与えられる大功田は、子孫への永久の伝授(事実上の永久私有)が認められた。これに対し、上功田は三代(子・孫まで)、中功田は二代(子まで)、下功田は本人の一代限りの所有とされ、規定の世代が経過した後は国家へ返還(収公)されて公田に戻されることとなっていた。功田は原則として不輸租田(税がかからない田地)とされ、受給者にとって極めて価値の高い経済的特権であった。
律令体制における功田の歴史的意義と背景
功田の起源は、天武天皇期の672年に起きた最大の内乱である壬申の乱にさかのぼる。乱において天武天皇(大海人皇子)側で活躍した功臣たちに対し、その論功行賞として土地や人民が与えられたことが、のちの大宝律令(701年)や養老律令における功田制度のモデルとなった。その後も、奈良時代に起きた藤原仲麻呂の乱などの政変や、東北地方における蝦夷(えみし)との戦争において活躍した武官・貴族に対し、功田が与えられている。
この制度は、すべての土地と人民を天皇・国家の支配下におく「公地公民制」の建前に対する例外であった。国家が有力な豪族や貴族の忠誠心を維持し、軍事的・政治的協力を得るためには、土地という具体的な恩賞(経済的権益)を認めざるを得なかった実態を示している。このような功田をはじめとする私有化が認められた土地の存在は、のちの墾田永年私財法による土地私有化の進展や、荘園の発生へとつながる歴史的伏線となった。