結城氏朝 (ゆうきうじとも)
1402年〜1441年
【概説】
室町時代中期の武将で、下総国の有力守護大名・結城氏の第11代当主。永享の乱で滅んだ鎌倉公方・足利持氏の遺児を擁立して室町幕府に反抗し、関東における大乱である結城合戦を引き起こした人物。
永享の乱と持氏遺児の擁立
1439年(永享11年)、関東の主導権をめぐって京都の室町幕府(6代将軍足利義教)と激しく対立していた鎌倉公方・足利持氏が、永享の乱において敗死した。これにより鎌倉府は一時滅亡へと追い込まれたが、幕府による急進的な関東直接支配の強化は、現地の国人領主たちの強い反発を招くこととなった。下総国の名門武士である結城氏朝は、持氏の遺児である春王丸と安王丸を密かに保護し、旧鎌倉公方派の結集を図って幕府に対する反旗を翻した。
結城合戦の勃発と氏朝の最期
1440年(永享12年)、氏朝は遺児を擁して本拠地である下総国結城城に籠城した。将軍足利義教はこれを重大な反乱とみなし、関東管領の上杉憲実らを中心とする大規模な幕府軍を派遣して包囲させた(結城合戦)。氏朝は優れた防衛戦を展開して約1年にわたり持ちこたえたものの、兵糧の枯渇や力戦抗口の限界により、1441年(嘉吉元年)4月に結城城は陥落した。氏朝は息子の持朝とともに討ち死にし、捕らえられた春王丸と安王丸も京都への護送途中に美濃国で斬首された。この乱は結城氏の敗北に終わったが、将軍義教の強権政治に対する地方社会の根強い抵抗を示すものであり、同年に京都で勃発した嘉吉の乱(義教暗殺)や、のちの関東地方における享徳の乱(戦国時代の幕開け)へとつながる重要な歴史的契機となった。