経済協力開発機構(OECD) (けいざいきょうりょくかいはつきこう)
【概説】
第二次世界大戦後の自由主義陣営の先進国が、経済成長や貿易拡大、開発途上国支援などを協議する国際機関。1961年の発足後、日本は1964年に加盟し、アジア初の「先進国クラブ」入りを果たした。
戦後復興の完遂と「先進国」への仲間入り
1960年代の日本は、池田勇人内閣が掲げた「所得倍増計画」のもと、急速な高度経済成長を遂げていた。日本政府は、1956年の国際連合加盟に続き、名実ともに国際社会の一等国としての地位を確立することを目指した。その象徴となった年が1964年である。
この年、日本は為替制限を撤廃して経常取引の自由化を義務づけられたIMF(国際通貨基金)8条国へ移行し、さらに同年4月には経済協力開発機構(OECD)への加盟を果たした。これらは、同年に開催された東京オリンピックの成功や東海道新幹線の開業と並び、日本が敗戦後の「被援助国」から脱却し、世界の「主要先進国」の一員となったことを国内外に強く印象づける出来事であった。
「開かれた経済体制」への移行と資本の自由化
OECDへの加盟は、国際社会におけるステータス向上をもたらした一方で、日本経済に対してはドラスティックな構造改革を迫るものであった。加盟国には、モノだけでなく資金の往来も自由にする「資本の自由化」が義務づけられていたからである。
それまでの日本は、発展途上にある国内産業を保護するため、外資の流入や海外への直接投資を厳しく制限していた。しかし、OECD加盟によって段階的な市場開放を余儀なくされ、国内の企業は強力な外資との激しい競争にさらされることとなった。政府や産業界は、外資の買収攻勢に対抗するため企業の合理化や合併(企業規模の拡大)を進め、これが結果として日本の自動車産業や電機産業などの国際競争力をより一層高める契機となった。
「援助を受ける国」から「援助する国」への転換
OECDへの加盟は、日本の国際協力のあり方をも大きく変えた。日本はかつて世界銀行などからの借款によって東海道新幹線や東名高速道路などを建設していたが、加盟後は「先進国」として開発途上国を支援する立場へと回った。
特に、OECDの下部組織である開発援助委員会(DAC)への参画を通じ、日本はアジア諸国を中心とした政府開発援助(ODA)を本格化させた。これにより、日本は単に経済的利益を追求する国ではなく、資金や技術の提供を通じて世界の安定と平和に貢献する「経済大国」としての役割を担うようになっていった。