経世思想
【概説】
江戸時代中期から後期にかけて、幕藩体制の動揺や財政危機を背景に勃興した、具体的な政治・経済政策を論じる実践的な社会改革思想。「経世済民(世を治め、民を救う)」の略であり、従来の観念的な道徳論を排し、現実的な社会問題の解決を目指した。太宰春台や海保青陵、本多利明らによって多角的な提言がなされ、後の幕政改革や藩政改革に大きな影響を与えた。
儒学の変容と「経世」の誕生
江戸時代初期の官学であった朱子学は、自己の修養(内省)と身分秩序の維持を重視し、経済活動や貨幣流通を卑しいものとみなす傾向が強かった。しかし、元禄期以降に商品経済が急速に発展すると、幕府や諸藩の財政難、武士の困窮、農村の荒廃といった社会矛盾が噴出した。こうした現実に直面し、従来の道徳論では社会を救えないとする批判が生まれることとなった。
その先鞭をつけたのが、荻生徂徠(おぎゅうそらい)の「古学(徂徠学)」である。徂徠は、道徳よりも「制度や政治技術(礼楽)」によって社会を統治することを重視した。この徂徠の現実主義的な政治観を、弟子の太宰春台(だざいしゅんだい)がさらに発展させ、著書『経済録』において、武士も商業や専売制に関与して富を築くべきであると説いた。ここに、倫理学から政治・経済学へと脱皮した独自の「経世思想」が確立した。
多様化する政策提言:農本主義から重商主義・開国論へ
経世思想は、社会の危機に対処するため、思想家ごとに多様なアプローチを見せた。大きく分ければ、農業を本位として武士の帰農や農村再建を唱える農本主義的な潮流と、商業や交易を重視して富国を目指す重商主義的な潮流に大別される。
18世紀後半から19世紀にかけては、特に重商主義的な傾向を持つ経世思想が台頭した。海保青陵(かいほせいりょう)は『稽古談』において、藩主と家臣の関係を「一種の売買(生産と雇用の関係)」とクールに捉え、藩が特産品の販売に積極的に関わる藩専売制を肯定した。また、本多利明(ほんだとしあき)は『西域物語』や『経世秘策』を著し、日本が孤立する現状を批判して、蝦夷地の開発や海外貿易の推進、さらには植民地獲得といった、鎖国体制の枠組みを大きく超える先駆的な開国論を提唱した。幕末近くになると、佐藤信淵(さとうのぶひろ)が現れ、国家が全ての産業を直接統制・管理する極めて先進的な(一説には初期社会主義的な)国家改造計画を論じた。
幕政・藩政改革への影響と歴史的意義
経世思想家たちの提言は、単なる机上の空論にとどまらず、同時代の政治に実動的な影響を与えた。田沼意次による重商主義的な幕政改革や、寛政・天保の改革における緊縮・農村再建策、さらには薩摩藩や長州藩が幕末期に断行した専売制による藩政改革(この結果、両藩は倒幕の資金力を得ることとなる)の理論的支柱となった。
経世思想は、儒教の枠組みの中から生まれながらも、実質的にはその教条主義を脱し、近代的な経済合理性を追求する学問へと脱皮した。この「実学」の精神は、幕末の開国論や、明治維新後の「富国強兵」および殖産興業政策を推進する官僚・知識人たちの思考基盤として、脈々と受け継がれていくことになった。