神尾春央

「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものだ」と語ったとされ、検地の強化などで年貢の増収を図った勘定奉行は誰か?
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重要度
★★

【参考リンク】
神尾春央(Wikipedia)

神尾春央 (かんおはるひで)

1687年~1753年

【概説】
江戸時代中期の幕臣であり、徳川吉宗の信任を得て勘定奉行を務めた人物。享保の改革の後期において、定免法の普及や検見法の厳格化を強力に推し進め、幕府財政の再建に大きく貢献した。その一方で、農民に対する苛烈な年貢増徴を行ったことで知られ、後世に議論を呼ぶ官僚の一人である。

享保の改革後期における財政再建の旗振り役

8代将軍徳川吉宗が進めた享保の改革は、初期の質素倹約や新田開発などの勧農政策から、後期には直接的な増税による財政再建策へとシフトしていった。この「増徴期」と呼ばれる改革後半において、実務官僚として頭角を現したのが神尾春央である。

春央は代官から勘定吟味役へと出世し、1742(寛保2)年には幕府財政の最高責任者である勘定奉行に就任した。吉宗が目指す幕府財政立て直しのため、春央は諸国の天領(幕府直轄領)における年貢の徴収体制を根本から見直す役割を担った。彼が主導した税制改革の核心は、豊凶に関わらず年貢率を一定期間固定する定免法(じょうめんほう)の全国的な普及と、従来の収穫高調査である検見法(けみほう)の厳格化であった。

「百姓は胡麻の油」に象徴される過酷な年貢増徴

神尾春央の名は、「胡麻の油と百姓は、絞れば絞るほど出るものなり」という冷酷な言葉とともに歴史に記憶されている。この言葉は後世の史料(『よしの冊子』など)に記されたものであり、春央自身が実際に発言したかについては諸説あるが、当時の彼が実行した政策の厳しさを端的に象徴している。

春央は、それまで課税対象から除外されがちであった副産物や畑作物に対しても厳しく課税する「有毛検見(ありげけみ)」を導入し、さらに災害時における年貢の減免基準を大幅に引き上げるなど、徹底的な取り立てを行った。これにより、幕府の年貢収入は享保期を通じて最高水準に達し、財政は一時的に劇的な好転を見せた。しかし、この極限に至る増税は農民の生活を著しく困窮させ、各地で百姓一揆が頻発する最大の要因となった。同時代の町奉行・大岡忠相らが農民の保護や社会の安定を重視したのに対し、春央ら勘定系の官僚は財政数値を最優先したのである。

徹底した官僚統制と歴史的評価

春央の強硬な政策が成功した背景には、彼自身の優れた実務能力と、部下である代官たちに対する強力な統制があった。春央は、年貢の取り立てを怠る代官を厳しく処罰する一方で、高い成果を上げた代官を積極的に登用した。これにより、弛緩していた幕府の地方支配機構に強い緊張感がもたらされた。

1751年に徳川吉宗が没した後も、春央は勘定奉行の地位に留まり、1753年に没するまで幕府財政を支え続けた。彼の施策は、短期的には幕府に莫大な富をもたらしたものの、長期的には農村社会の疲弊を招き、幕藩体制の矛盾を深刻化させる結果ともなった。神尾春央という存在は、財政再建の功労者という側面と、過酷な収奪者という側面の二面性を持つ、江戸中期を代表する有能かつ冷徹な官僚像を示している。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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