知識 (ちしき)
【概説】
仏教の信仰に基づき、寺院の建立や仏像造立のために自発的に労働や財物、技術などを提供する民衆やその共同体。本来は仏法との結縁を意味する仏教用語であったが、奈良時代において大規模な造仏・造寺事業を支える重要な社会的・経済的基盤となった。
「知識」の語源と民間布教の展開
仏教における「知識」という言葉は、本来はサンスクリット語の「ミトラ(友人・協力者)」の訳語であり、仏道修行を導く指導者を意味する「善知識(ぜんちしき)」に由来する。これが転じて、仏道に帰依して結縁(けちえん)することや、仏教に基づき共同で善行を行う組織や個人、さらにはその寄付行為自体を指すようになった。
奈良時代、国家は僧尼令(そうにりょう)を定めて仏教を国家統制の下に置き、僧侶が寺院の外へ出て民衆に直接布教することを厳しく禁じていた。しかし、こうした制限を破って民間への布教を展開し、社会事業(架橋、道路整備、ため池の築造など)を行った行基(ぎょうき)などの僧侶が現れる。行基の活動に共鳴した多くの地方豪族や民衆は、自発的に労働力や物資を提供して彼を支えた。これが「知識」と呼ばれる集団の形成であり、民衆レベルにおける仏教信仰の広がりを示す象徴的な動きとなった。
東大寺大仏造立における「知識」の役割
朝廷は当初、国家の統制外で民衆を組織化する行基たちの動きを弾圧していた。しかし、天平年間に疫病(天然痘)の大流行や政治的混乱が相次ぐと、聖武天皇は仏教の力によって国家の安泰をはかる「鎮護国家」の政策をさらに推し進めた。その集大成が、743年(天平15年)に発せられた大仏造立の詔である。
聖武天皇はこの詔の中で、国家の権力だけで大仏を造るのではなく、「一枝の草、一握の土」を持ち寄るような民衆の自発的な協力、すなわち「知識」の力によって造立することを呼びかけた。ここに至り、朝廷は行基の社会的影響力を認めざるを得なくなり、彼を大僧正として迎えて大仏造立への協力を仰いだ。行基が率いる多くの「知識」が、巨額の資金や資材、そして莫大な労働力を提供したことにより、未曾有の国家的プロジェクトであった東大寺大仏(盧舎那仏)の完成が実現したのである。