甲賀寺 (こうがじ)
743年〜745年
【概説】
奈良時代中期、聖武天皇の命により近江国甲賀郡に建立され、最初の大仏(盧舎那仏)造立事業が開始された寺院。相次ぐ天災や平城京への還都によって計画が頓挫し、大仏造立の役割は東大寺へと引き継がれた。
聖武天皇の彷徨と大仏造立の詔
奈良時代中期の天平年間、聖武天皇は平城京から恭仁宮、難波宮、そして近江国の紫香楽宮へと次々に遷都を繰り返した。この「彷徨の季節」と呼ばれる政治的混乱の最中、天皇は仏教の力によって国を鎮める鎮護国家思想に深く傾倒していく。天平15年(743年)10月、聖武天皇は紫香楽宮において大仏(盧舎那仏)造立の詔を発令した。この国家的大事業を担う象徴的寺院として、紫香楽宮の近くに創建されたのが甲賀寺であった。造立事業には、当時民衆の間で絶大な支持を集め、弾圧から一転して国家に協力することとなった僧・行基とその集団が深く関わっていた。
計画の挫折と東大寺への継承
甲賀寺での大仏造立は、天平16年(744年)には木造の骨柱が立てられるなど、着実に進行していた。しかし、天平17年(745年)に入ると、紫香楽宮周辺での度重なる大地震や山火事が発生し、人心は動揺した。さらに、度重なる遷都に疲弊した貴族や民衆の不満も高まり、聖武天皇は同年5月、ついに平城京への還都を決断する。これに伴い、甲賀寺における大仏造立計画は中止を余儀なくされた。大仏造立のプロジェクトは平城京の東大寺へと引き継がれ、甲賀寺で培われた技術や行基らの勧進活動の成果が、現在の奈良の大仏へと結実することとなった。今日、滋賀県甲賀市に位置する甲賀寺跡(紫香楽宮跡に含まれる)は、東大寺の「ルーツ」として歴史的に極めて重要な遺構となっている。