牧畜
【概説】
牛、馬、豚、羊などの家畜を飼育し、繁殖させて繁殖品や労働力を得る生業のこと。日本列島の弥生時代においては、大陸から水稲耕作技術が伝来した一方で、大規模な牧畜技術は受容されず、限定的な家畜飼育にとどまった点が特徴である。
稲作の受容と牧畜の「非対称性」
ユーラシア大陸、特に中国大陸や朝鮮半島では、農耕の発展と並行して、豚や牛、羊などの牧畜(家畜飼育)が生業の重要な柱として組み込まれていた。しかし、紀元前10世紀頃にそれらの地域から日本列島へ水稲耕作(稲作)が伝来した際、牧畜技術は組織的な形で同時受容されなかった。この農耕の急速な普及と牧畜の不活発さという「非対称性」は、日本列島の生態環境や社会構造を決定づける要因となった。
大規模な牧畜が発達しなかった理由としては、日本列島が温暖多雨で野生の鳥獣や魚介類、植物性食料(ドングリなどの堅果類)に恵まれており、あえて労力を割いて家畜を群れで維持・管理する必要性が薄かったことが挙げられる。また、列島の地形は山がちで森林が多く、広大な乾燥草原のような放牧に適した適地が少なかったことも影響している。
弥生遺跡にみる限定的な家畜飼育
弥生時代において、家畜飼育が完全に存在しなかったわけではない。近年の考古学的調査により、一部の遺跡からは家畜化された動物の骨が出土している。その代表例がブタ(家畜化されたイノシシ)である。長崎県壱岐市のカラカミ遺跡や、愛知県清須市の朝日遺跡などからブタの骨が検出されており、大陸との交流が盛んであった地域や、大規模な環濠集落において限定的にブタの飼育が行われていたことが確認されている。
ただし、これらは生業としての本格的な「牧畜」と呼べる段階ではなく、祭祀の際の供え物(犠牲)や、交易用の肉資源、あるいは集落内の有機廃棄物を処理するための補助的な飼育にとどまっていたと考えられている。弥生時代の中期から後期にかけても、この飼育規模が社会全体へと拡大・定着することはなかった。
牛馬の不在と古墳時代への展望
水田農耕を主軸とする社会でありながら、弥生時代の日本列島には、耕作や運搬を助ける役獣としての牛や馬(牛馬)が実質的に存在しなかった。弥生遺跡から牛馬の骨が出土する事例は極めて稀であり、系統的な飼育・利用が行われていた証拠は確認されていない。すなわち、弥生時代の稲作は完全に人力に依存するものであり、牛馬の力を借りる「犂耕(りこう)」技術の導入は、後世を待たねばならなかった。
日本列島において牛馬の組織的飼育が本格化するのは、5世紀(古墳時代中期)のことであり、朝鮮半島からの渡来人集団がその技術をもたらしたとされる。馬は主に乗馬用や軍事用として、牛は役畜として受容されたが、その後も肉食や乳製品の生産を目的とする大規模な「牧畜業」は、仏教の殺生禁断思想の広まりもあり、近代以前の日本においては限定的な地位に留まり続けた。