火浣布

平賀源内が石綿(アスベスト)を発見して作り上げた、火に入れても燃えない(汚れが火で落ちる)布を何というか?
カテゴリ:
重要度
★★

火浣布 (かかんぷ)

1764年

【概説】
江戸時代中期の1764年、本草学者・発明家の平賀源内が、武蔵国秩父で発見した石綿(アスベスト)を用いて製作した、火に入れても燃えない特殊な布。中国の古典に登場する伝説の布にちなんで名付けられ、当時の日本の博物学(本草学)の発展や産業振興への関心の高まりを象徴する遺物である。

平賀源内による石綿の発見と「火浣布」の誕生

江戸時代中期の明和元(1764)年、多才な知識人・文化人として知られる平賀源内は、武蔵国秩父(現在の埼玉県秩父市付近)の山中を探索中、天然の鉱物繊維である石綿(アスベスト)を発見した。源内はこれを細かくほぐし、麻などの繊維と混紡して糸を作り、それを織り上げることで、火に投げ入れても燃えない不思議な布「火浣布」を完成させた。

「火浣布」という名は、中国の古い漢籍(『列子』など)に登場する、火で洗う(浣する)ことによって汚れを落とすという伝説上の布に由来する。源内が作った布も、汚れがついた際に火の中に投じると、汚れの有機物だけが燃え尽きて布自体は元の真っ白な姿で残ったため、まさに伝説の布を現実のものとして再現したとして、当時の知識人や江戸の庶民を驚愕させた。源内はこの火浣布を、時の10代将軍・徳川家治に献上している。

江戸中期の本草学と産業振興(経世済民)の背景

火浣布の製作は、単なる奇術や見世物ではなく、当時の日本における本草学(博物学)の目覚ましい発展と密接に結びついている。江戸中期、8代将軍・徳川吉宗の享保の改革を契機として、幕府は海外からの輸入に頼っていた薬種や文物の「国産化」を強く奨励した。これにより、国内の有用な動植物や鉱物を調査・研究し、産業に役立てようとする「物産学」や本草学が大きく隆盛した。

源内もまた、本草学者である田村藍水に師事し、日本の物産を網羅した博覧会(物産会)を主催するなど、この潮流の先頭に立っていた。彼にとって、秩父での石綿の発見と火浣布の開発は、日本国内の未開拓の資源をテクノロジーによって実用的な価値へと昇華させる「経世実用」の学問の具体的実践であった。

火浣布の歴史的意義と源内の先進性

火浣布自体は、石綿の採掘量や加工技術の限界から大量生産には至らず、当時の実用的な防火服などとして広く普及することはなかった。しかし、自然界の鉱物特性を見抜き、それを繊維加工するという源内の先進的な試みは、西洋の自然科学にも通じる合理的な探究心を示すものであった。

源内はこの後も、秩父の鉱山開発(秩父大滝の炭鉱や鉱山の試掘)や、オランダ船からもたらされた摩擦起電器を修復・改良したエレキテルの製作、さらには西欧の技法を取り入れた源内焼(陶器)の創始など、数々の業績を残した。火浣布は、そうした源内の旺盛な知的好奇心と、近代化前夜の日本における科学技術の芽生えを今に伝える貴重な史料として、歴史的に高く評価されている。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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