エレキテル
【概説】
江戸時代中期にオランダから伝来した静電気発生装置(摩擦起電機)。長崎で破損した状態のものを入手した平賀源内が、数年の歳月をかけて修理・復元に成功した。珍しい見世物や医療器具として当時の人々の耳目を集め、日本の洋学・科学技術史における象徴的な事象となった。
エレキテルとは何か――その仕組みと伝来
「エレキテル」とは、本来オランダ語で「電気」を意味する「elektriciteit(エレクトリキテイト)」がなまった言葉である。日本史の用語としては、18世紀にオランダから長崎へ持ち込まれた摩擦起電器を指す。ガラスの円筒や摩擦用のクッションをハンドルで回転させてこすり合わせることで静電気を発生させ、蓄電器(ライデン瓶)に電気をためる仕組みであった。
もともとヨーロッパにおいて、エレキテルは純粋な物理学の実験器具としてだけでなく、人体に電気を通すことで様々な病の治療に効果があるとされる医療用器具、あるいは火花や感電のショックを楽しむ娯楽装置として流行していた。これが江戸時代中期の日本にも舶載され、一部の蘭学者や大名の間で知られるようになったのである。
平賀源内による復元とその苦難
このエレキテルを日本で広く世に知らしめたのが、本草学者であり戯作者でもあった平賀源内である。源内は1770年(明和7年)、二度目の長崎遊学の際に、オランダ通詞から破損して動かなくなっていたエレキテルを入手した。
源内はこれを江戸に持ち帰り、およそ6年の歳月をかけて構造を研究し、1776年(安永5年)についに修理・復元に成功した。当時、電気の原理に対する正確な理論的知識が日本に存在しなかったにもかかわらず、限られた文献と持ち前の器用さ、類まれな観察力によって完全な形に復元させたことは、源内の天才的な才覚を示すエピソードとして今日まで語り継がれている。
見世物としての流行と医療への応用
復元されたエレキテルは、摩擦によって生じた静電気を銅線から放ち、人体に軽いショックを与えることができた。源内はこれを江戸の有力者や大名たちに披露し、たちまち大きな話題を呼んだ。放電による火花を見た人々は驚嘆し、電気の刺激は「体内の滞った気を巡らせて万病を治す」という東洋医学的な解釈と結びつけられ、珍しい医療器具としても持てはやされた。
また、源内の成功以降、多くの職人や蘭学者がエレキテルの模造品や改良品を製作した。のちに大坂の橋本宗吉などの蘭学者は、自作のエレキテルを用いてより本格的な電気実験(火花放電実験など)を行っており、エレキテルは単なる見世物を超えて、日本における理化学研究の端緒を開くこととなった。
田沼時代の洋学隆盛と歴史的意義
エレキテルが復元され、もてはやされた時期は、老中・田沼意次が幕政を主導していた時代と重なる。田沼時代は実学が奨励され、蘭学や西洋の科学技術に対する関心がかつてなく高まっていた時期であった。エレキテル復元のわずか2年前の1774年(安永3年)には、杉田玄白や前野良沢らによって西洋の解剖書を翻訳した『解体新書』が出版されている。
平賀源内によるエレキテルの復元と大流行は、こうした田沼時代の自由で進取の気性に富む文化的背景(天明期の文化)を如実に表している。それは西洋の先進的な科学技術に対する日本人の旺盛な好奇心と吸収力を象徴するものであり、のちの幕末・明治期における急速な近代化を準備する、江戸中後期の科学技術史において極めて重要な意義を持っている。