清浄光寺(遊行寺) (しょうじょうこうじ(ゆぎょうじ)
【概説】
神奈川県藤沢市に位置する、浄土門仏教の一派である時宗(じしゅう)の総本山。時宗の長である歴代の「遊行上人(ゆぎょうしょうにん)」が住持する寺院となったことから、通称「遊行寺」として広く知られる。鎌倉時代末期における創建以来、踊念仏と民衆救済の精神を中世から近世へと伝える信仰の拠点である。
一遍の「遊行」思想と寺院の起源
鎌倉時代中期に一遍(一遍智真)によって開かれた時宗は、特定の寺院(伽藍)や土地に執着せず、日本全国を旅しながら「南無阿弥陀仏」の念仏札を配る「賦算(ふさん)」と、歓喜して踊りながら念仏を唱える「踊念仏(おどりねんぶつ)」を特徴とする宗派であった。この旅の生活を「遊行」と呼び、一遍の跡を継いだ他阿真教(たあしんきょう)らの歴代の上人もまた、各地を巡行して民衆の救済と布教に努めた。
しかし、信徒の増加にともない、教団としての拠点や歴代上人の墓所となる中心的な道場が必要とされるようになった。こうした背景のもと、1325年(正中2年)に遊行四代の他阿真光(しんこう)が、相模国(現在の神奈川県藤沢市)の地頭であった俣野氏らの帰依を受け、時宗の道場を建立した。これが清浄光寺の始まりである。
「遊行寺」の名の由来と歴代上人の定住
清浄光寺が「遊行寺」と呼ばれるようになったのは、時宗の最高指導者である「遊行上人」がここに留まるようになったためである。本来、時宗の教規において上人は各地を「遊行」し続ける義務があったが、高齢に達した上人や、引退した「藤沢上人」が、かつての修行地であったこの清浄光寺に定住(独住)する慣習が生まれた。
これにより、清浄光寺は時宗教団を統括する「総本山」としての地位を確立していく。広大な伽藍を有し、東国における浄土教信仰の大きな潮流を形成するに至った。
歴史の荒波と東海道・藤沢宿の発展
室町時代から戦国時代にかけて、清浄光寺は度重なる戦火に見舞われた。特に1513年(永正10年)、相模国への進出を目論む伊勢宗瑞(北条早雲)と三浦義同(道寸)との戦いの最中に寺は全焼し、一時期は駿河国(現在の静岡県)などに避難を余儀なくされた。しかし、後に後北条氏や徳川家康の支援によって再興を果たした。
江戸時代に入ると、江戸幕府の寺社政策(本末制度)により、全国の時宗寺院を支配する本山として正式に認められた。また、寺の周辺は東海道五十三次の6番目の宿場町である「藤沢宿」として整備され、遊行寺はその象徴的な存在として旅人や参詣者で大いに賑わった。現在でも、箱根駅伝の「遊行寺の坂」などの地名にその歴史的痕跡を留めている。