円伊 (えんい)
【概説】
鎌倉時代後期に活躍した絵師。時宗の開祖である一遍の生涯を描いた絵巻物『一遍上人絵伝(一遍聖絵)』の作画を担当した人物。仏師や絵師などに与えられる最高位の僧位「法眼(ほうげん)」の称号を持っていたとされるが、その生涯や経歴の多くは謎に包まれている。
『一遍上人絵伝』の制作と「法眼」の称号
円伊の歴史的業績は、正安元年(1299年)に完成した全12巻からなる『一遍上人絵伝(一遍聖絵)』の絵を描いたことに集約される。この絵巻物は、一遍の異母弟または弟子とされる聖戒(しょうかい)が詞書(ことばがき)を執筆し、円伊が作画を担当した共同制作の傑作である。絵巻の末尾に「画図法眼円伊」と署名があることから、彼が当時、最高位の僧位である「法眼」の地位にあったことが判明している。
当時、これほど大規模な絵巻の制作を主導し、法眼の地位を得ていたことから、円伊は単なる一介の絵師ではなく、宮廷の絵所(えどころ)や鎌倉幕府、あるいは有力大寺社に属する一流の宮廷絵師、あるいは絵所預(えどころあずかり)クラスの権威ある人物であったと推測されている。
大和絵と宋代画風の融合
円伊の画風は、日本伝統の大和絵(やまとえ)の繊細な表現技法を基調としながらも、当時、禅僧などを通じて日本にもたらされていた中国の宋代山水画(宋画)の写実的な空間描写を大胆に取り入れている点に大きな特徴がある。遠近法や空気感を意識した景観描写、力強い墨線による岩石や樹木の表現などは、それまでの日本の絵巻物には見られなかった新しい表現様式であった。
この和漢混交の独自の画風によって、一遍が旅した日本各地の美しい自然や、四季折々の表情が極めて写実的かつ情緒豊かに描き出されている。特に、厳島神社や天王寺、江の島などの描写は、現地を実際に綿密にロケハン(実景写生)したのではないかと思わせるほどの正確さを誇っている。
歴史・民俗学史料としての価値
円伊の描いた『一遍上人絵伝』は、美術品としての価値にとどまらず、鎌倉時代の社会・経済・民俗を視覚的に伝える超一級の歴史史料として高く評価されている。一遍が各地を漂泊する過程で描かれた、信濃の「関戸の市」や備前の「福岡の市」の場面には、当時の物売りの様子、立ち並ぶ店舗、行き交う庶民や武士の姿が克明に描かれており、中世の市場経済の実態を知る上で欠かせない図像データとなっている。
また、道行く遍路や病人、物乞い、武士の邸宅、庶民の住居、当時の交通手段や衣服に至るまで、文字史料だけでは復元困難な中世社会の「日常」が円伊の卓越した描写力によって定着されており、彼の残した視覚的遺産は、日本中世史研究に計り知れない貢献をしている。