浄智寺

鎌倉五山の第四位に格付けされた、北条氏(宗政の菩提を弔うため)によって建立された臨済宗の寺院はどこか?
カテゴリ:
重要度
★★

浄智寺 (じょうちじ)

1281年創建

【概説】
鎌倉市山ノ内にある、鎌倉五山の第四位に列せられた臨済宗円覚寺派の寺院。鎌倉幕府執権・北条時頼の三男である北条宗政の菩提を弔うために建立された。宋からの渡来僧らを迎えて開山され、のちに室町幕府によって五山制度の中に位置づけられた。

北条氏一門による創立と日宋交流の背景

浄智寺の創建は、鎌倉幕府第5代執権である北条時頼の三男・北条宗政が弘安4年(1281年)に29歳で没したことを契機とする。宗政の幼少の子である北条師時(のちの第10代執権)が、時頼の弟である北条政村や、宗政の妻らとともに、その菩提を弔うために山ノ内の地に建立した。当時は元寇(文永の役・弘安の役)という未曾有の対外危機に直面していた時期であり、幕府の最高指導部である北条一門の精神的結束を高めるため、新興の禅宗が強く求められていたという背景がある。

開山(初代住職)には、得宗家が深く帰依していた宋からの渡来僧である兀庵普寧(ごったんふねい)が勧請開山(名誉上の開山)として迎えられ、同じく渡来僧の大休正念(だいきゅうしょうねん)や、円覚寺の開山である無学祖元らが実質的に創立に関わった。このように、当時の最先端の中国禅の精髄が注ぎ込まれた浄智寺は、北条氏の私的な追善寺院にとどまらず、鎌倉における禅宗文化・日宋交流の重要拠点としての役割を担っていた。

鎌倉五山への列せられ方と室町期における展開

鎌倉時代後期に創建された浄智寺は、政権が鎌倉幕府から室町幕府へと移行する過程で、国家的な保護と統制を受けるようになっていく。足利尊氏やその後の足利将軍家は、北条氏が保護した禅宗寺院の制度を継承し、禅宗を国家の帰依対象とする五山・十刹(ござん・じっさつ)の制を順次整備していった。

室町幕府第3代将軍の足利義満の時代である至徳3年(1386年)、京都五山と鎌倉五山の制度が最終的に決定され、浄智寺は建長寺、円覚寺、寿福寺に次ぐ鎌倉五山第四位に位置づけられた。この格付けにより、浄智寺は幕府から手厚い保護を受ける官寺(国家公認の寺院)となり、室町時代を通じて多くの高僧を輩出するとともに、五山文学などの禅宗文化を担う重要な存在として繁栄した。

鎌倉古寺霊園物語――時代を彩った文芸、映画、政治・外交の巨人たち

歴史を動かした巨人たちの足跡を辿り、鎌倉の霊園に眠る偉人たちの知られざる人生と物語を紐解く珠玉の評伝。

[決定版] 鎌倉の寺社122を歩く

古都鎌倉の魅力を再発見できる、122もの寺社を網羅した散策の楽しさが詰まった充実のガイドブック。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 片岡蔵相の失言がきっかけで凄まじい取り付け騒ぎに見舞われ、休業に追い込まれて昭和金融恐慌の引き金となった銀行はどこか?
Q. 古墳時代前期の副葬品を代表する鏡で、縁の断面が三角形をしており、中国の魏から卑弥呼に贈られたものとする説がある銅鏡は何か?
Q. 弥生時代の初期に主に利用された、川沿いの低湿地にあり、常に水が溜まっている水田を何というか?