寿福寺 (じゅふくじ)
【概説】
神奈川県鎌倉市扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派の寺院。1200(正治2)年に源頼朝の死後、妻の北条政子が明菴栄西を開山に招いて創建した、鎌倉禅林の先駆をなす名刹。室町時代に制定された「鎌倉五山」では第三位に位置づけられた。
北条政子による創建と源氏ゆかりの地
1199(建久10)年の初代将軍・源頼朝の急死を受け、その翌年である1200年、尼御台となった北条政子が頼朝の菩提を弔うために建立したのが寿福寺である。建立の地となった鎌倉の扇ヶ谷(おうぎがやつ)は、頼朝の父である源義朝の旧邸跡と伝えられ、東国武士の棟梁たる源氏にとって極めて由緒の深い場所であった。政子は、この源氏の聖地に寺院を建立することで、亡き夫の追善供養を行うとともに、源氏将軍家の権威を宗教的に高めることを意図したと考えられる。
栄西の招聘と鎌倉禅林の幕開け
寿福寺の初代住持(開山)には、宋に渡って臨済宗を学び、日本に伝えた明菴栄西(みょうあんえいさい)が招かれた。当時、京都の伝統的な既成仏教勢力(特に比叡山延暦寺など)は、栄西がもたらした新しい宗派である「禅宗」に対して激しい排斥運動を展開していた。これに対し、鎌倉幕府の2代将軍・源頼家や北条政子は栄西を厚く保護した。新興の武家政権にとって、京都の旧勢力と結びつかない「禅」を受容することは、独自の武家文化を形成・発信する好機となった。栄西の招聘と寿福寺の創建は、鎌倉が禅宗文化の受容と発展の中心地となる重要な契機となった。
鎌倉五山第三位への列格と後世の変遷
鎌倉時代を通じて寿福寺は、後に渡来僧の蘭渓道隆や大休正念らが住持を務めるなど、鎌倉を代表する禅の修行道場として栄えた。室町時代に入ると、室町幕府3代将軍の足利義満によって禅寺の格付け制度である「五山・十刹(ごさん・じっさつ)の制」が本格的に整備される。この際、寿福寺は建長寺(第一位)、円覚寺(第二位)に次ぐ鎌倉五山第三位に位置づけられ、幕府の庇護と管理を受ける官寺として高い格式を誇った。度重なる火災などにより中世の壮大な伽藍は失われたが、現在も境内奥の墓地(やぐら)には、北条政子や源実朝の墓と伝わる五輪塔が残り、往時の歴史を伝えている。