河本大作

日本の言うことを聞かなくなった張作霖を排除するため、独断で列車爆破の暗殺事件(満州某重大事件)を計画・指揮した関東軍の高級参謀は誰か?
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河本大作(Wikipedia)

河本大作 (かわもとだいさく)

1883〜1955年

【概説】
大正から昭和初期にかけて活動した陸軍軍人(最終階級は歩兵大佐)。関東軍の高級参謀として満州の支配強化を目論み、1928(昭和3)年に満州軍閥の首領を暗殺した張作霖爆殺事件(満州某重大事件)を独断で計画・実行した首謀者。

張作霖爆殺事件の首謀と「満蒙問題」の解決策

河本大作は陸軍大学校を卒業後、参謀本部勤務などを経て、1926(大正15)年に関東軍高級参謀に着任した。当時、中国国民政府による北伐が進む中で、日本が権益を持つ「満蒙(満州・内蒙古)」の安全が脅かされるとの危機感が日本陸軍、特に関東軍の内部で高まっていた。

河本は、当時の田中義一内閣が進めていた満州軍閥の張作霖を協調・利用する方針に限界を感じ、張作霖を排除して満州を日本の直接支配下に置くべきだと考えた。1928(昭和3)年6月4日、北平(北京)から奉天(現在の瀋陽)へ戻る途中の張作霖が乗車した列車を、奉天近郊の京奉線と満鉄連繋線の交差地点において爆破し、張作霖を暗殺した。これが張作霖爆殺事件である。河本は、この事件を機に満州での動乱を誘発し、関東軍が出動して一挙に満州を領有する計画を立てていたが、奉天軍閥側が冷静に対処したため、軍事行動を起こす大義名分を得られず、領有計画自体は失敗に終わった。

事件の政治的波及と軍部台頭の端緒

事件後、関東軍は中国側の便衣隊(ゲリラ)による犯行と発表したが、国内外で日本の関与を疑う声が上がった。田中義一首相は当初、昭和天皇に対して犯人を厳罰に処すると約束したものの、陸軍内の「身内をかばう」強い反対に屈し、閣議決定を経て「事件は関東軍に関係なし」と閣議決定を翻して天皇に上奏した。これに激怒した昭和天皇から厳しく叱責された田中首相は、退陣を余儀なくされた。この政治的混乱を「満州某重大事件」と呼ぶ。

首謀者である河本は、1929(昭和4)年に停職処分となり、予備役に編入された。しかし、陸軍が事実を隠蔽して河本らへの厳罰を避けたことは、結果として「統帥権の独立」を盾にした軍部の暴走を許す悪しき前例となった。河本が撒いた独断専行の種は、のちの1931(昭和6)年に石原莞爾らによって引き起こされる満州事変へと直結していくこととなる。なお、軍籍を離れた後の河本は、南満州鉄道(満鉄)の理事や山西産業株式会社の社長などを歴任し、戦後は中国現地で拘留され、太原の収容所で没した。

張作霖爆殺事件 昭和三年・危うし日中外交Ⅱ: 満州某重大事件をめぐっての国会大論戦

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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