樺美智子 (かんばみちこ)
1937〜1960
【概説】
1960年の安保闘争において、国会議事堂構内で警官隊と衝突した際に死亡した東京大学の女子学生。彼女の死は安保闘争における最大の悲劇として社会に大きな衝撃を与え、反対運動の激化と岸信介内閣総辞職の決定的な契機となった。
6・15国会突入事件と樺の死
昭和35(1960)年6月15日、日米安全保障条約(新安保条約)の改定阻止をめぐる反対運動は最高潮に達していた。この日、全学連(全日本学生自治会総連合)の主流派学生らは国会議事堂の南通用門を突破して構内へと突入。排除を図る警視庁の機動隊との間で激しい衝突が発生した。この混乱の最中、東京大学文学部4年生であった樺美智子が死亡した。警官隊による暴行か、群衆の押し合いによる圧死(窒息死)かをめぐって議論を呼んだが、東大の女子学生がデモの現場で命を落としたという事実は、国民に極めて大きな衝撃を与えた。
国民的抗議の沸騰と政治的結末
樺美智子の死は、それまで運動を主導していた学生や労働組合の枠を超え、一般市民の怒りに火をつける起爆剤となった。メディアは政府の強硬姿勢を批判し、国会議事堂周辺には「樺さんの死を無駄にするな」と叫ぶ市民や知識人、主婦層を含む数十万人規模の抗議デモが連日押し寄せた。この混乱により、予定されていたアイゼンハワー米大統領の訪日は中止を余儀なくされた。新安保条約は同年6月19日に自然成立したものの、世論の猛烈な批判を浴びた岸信介内閣は、条約の批准書交換を見届けた後に退陣へと追い込まれた。彼女の死は、戦後日本における最大の盛り上がりを見せた大衆運動(安保闘争)の象徴として、今なお歴史にその名を残している。