甘粕正彦

関東大震災の混乱に乗じて、大杉栄・伊藤野枝らを殺害した事件の首謀者である憲兵大尉は誰か?
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重要度
★★

【参考リンク】
甘粕正彦(Wikipedia)

甘粕正彦 (あまかすまさひこ)

1891年〜1945年

【概説】
大正から昭和初期にかけて、憲兵将校および満州国の黒幕として活動した陸軍軍人。関東大震災の混乱に乗じて社会主義者の大杉栄らを殺害した「甘粕事件」の首謀者として知られるが、出所後は満州国へ渡り、同国の「夜の支配者」として政治・文化の両面で大きな影響力を振るった人物。

甘粕事件と大正デモクラシーの転換点

1923(大正12)年の関東大震災の直後、社会主義者や朝鮮人が暴動を起こすという流言飛語が飛び交う混乱のなか、当時憲兵大尉であった甘粕正彦は、無政府主義(アナキズム)運動の指導者であった大杉栄、その妻の伊藤野枝、および大杉の幼い甥である橘宗一を拘束した。甘粕らは彼らを憲兵隊本部に連行し、憲兵隊の手によって扼殺した。これが近代日本史上、国家権力による直接的なテロ行為として名高い「甘粕事件」である。

この事件は、軍部や警察などの国家権力が、国家秩序を乱す危険分子とみなした社会主義者を、平時ではなく「震災による戒厳令下」というどさくさに紛れて非合法に排除した実例となった。甘粕は軍法会議にかけられて懲役10年の判決を受けたものの、実際には恩赦によりわずか数年で出所した。この寛大な処遇は、政府や軍の上層部が社会主義者の排除を黙認、あるいは肯定的に捉えていたことを示唆しており、自由主義的な「大正デモクラシー」の機運が終退し、軍国主義へと傾斜していく象徴的な契機となった。

満州渡航と「夜の支配者」としての台頭

出所後、甘粕は陸軍の支援を受けてフランスへ留学したのち、日本の傀儡国家である満州国の建国が進められていた中国東北部(満州)へと渡った。現地では、満州事変の立案者である石原莞爾や板垣征四郎といった関東軍将校と深く結びつき、清朝最後の皇帝であった溥儀(ふぎ)を擁立して満州国を建国する裏工作に奔走した。

満州国成立後は、日満協和を掲げる指導団体である「満州国協和会」の幹部や、国策会社である満州映画協会(満映)の理事長に就任した。満映では、希代の歌姫・女優として知られる李香蘭(山口淑子)をプロデュースし、日本の国策に沿った映画製作を通じて「五族協和」の宣伝(プロパガンダ)や文化統制を強力に推進した。甘粕は表舞台の政治権力を持たなかったが、憲兵時代のネットワークと関東軍との強固な信頼関係を背景に、満州国の裏の治安・宣撫工作を取り仕切る「夜の支配者」として恐れられた。1945(昭和20)年の太平洋戦争終戦に伴い、満州国の崩壊を見届けると、甘粕はソ連軍が迫るなかで満映理事長室において服毒自殺を遂げた。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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