本居宣長

賀茂真淵から指導を受け、「からごころ」を排して『古事記伝』を著し、国学を大成させた人物は誰か?
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重要度
★★★★

本居宣長 (もとおりのりなが)

1730〜1801

【概説】
江戸時代中期から後期にかけて活躍し、国学を大成した最大の国学者。賀茂真淵の門人となり、約35年の歳月を費やして『古事記伝』を完成させた。外来思想を排した日本固有の精神である「真心」や、文学の基調としての「もののあはれ」を見出し、後世の日本思想史に多大な影響を与えた。

町人学者としての出発と「松坂の一夜」

本居宣長は、伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)の裕福な木綿商の家に生まれた。しかし、商売には向かず、22歳の時に医学と儒学を修めるために京都へ遊学した。京都では儒学者の堀景山に師事する一方で、先駆的な国学者である契沖の著作に出会い、日本の古典文学への関心を深めていった。帰郷後は町医者として生計を立てながら、自邸(鈴屋)で源氏物語などの古典講義を行うようになる。

宣長の学問的人生における最大の転機は、宝暦13年(1763年)に訪れた。伊勢神宮参拝の途上で松坂の宿に泊まっていた国学の大家・賀茂真淵を訪ね、入門を志願したのである。世に言う「松坂の一夜」である。宣長が『古事記』研究の志を打ち明けると、真淵はこれを大いに喜びつつも、まずは『万葉集』によって古代の言語(雅語)を厳密に学ぶことの重要性を説き、宣長を門人に迎えた。

「もののあはれ」の文学論

宣長は古代文学の研究を通じ、儒教や仏教といった道徳的・教訓的な視点で文学を解釈しようとする従来の姿勢を厳しく批判した。その結実が『源氏物語玉の小櫛』である。この著作の中で彼は、人間のありのままの感情や、事物に触れて心が深く動かされる情緒こそが文学の本質であるとし、これを「もののあはれ」という概念で論理化した。

勧善懲悪などの倫理的基準で『源氏物語』を評価するのではなく、人間の純粋な情感や美意識を肯定したこの理論は、近世文学研究における画期的な業績であった。宣長はこの「もののあはれ」を知ることこそが、ひいては古代日本人の純粋な精神構造に近づく道であると考えたのである。

大著『古事記伝』の完成と「漢意」の排除

宣長の学問の集大成と言えるのが、生涯の半分以上にあたる約35年もの歳月をかけて執筆された、全44巻に及ぶ『古事記伝』である。当時は漢文体で書かれた『日本書紀』が正史として重んじられていたが、宣長は『日本書紀』には中国の思想的影響が強く入り込んでいると指摘し、和化漢文体で書かれた『古事記』にこそ、古代日本人の真の姿が残されていると考えた。

彼は『古事記』を緻密な実証的言語研究に基づいて読み解き、儒教の合理主義や仏教の教義といった外来思想を「漢意(からごころ)」と呼んで徹底的に排除した。そして、日本古来の純粋な精神や神々の道を「真心(まごころ)」や「惟神の道(かんながらのみち)」と名付け、神代の不可思議な記述を人間の小ざかしい理屈で解釈するのではなく、そのままの事実として畏敬の念をもって受け入れるべきであると主張した。

国学の大成とその後の思想的影響

契沖に始まり、荷田春満、賀茂真淵へと受け継がれてきた国学の研究水準は、本居宣長の実証的文献研究と思想的深化によって見事に大成された。彼の学問は「鈴屋学派」と呼ばれ、身分を問わず全国から多くの門人が集まり、その数は約500名にも及んだ。また、紀州藩主・徳川治貞に政治意見書『秘本玉くしげ』を献上し、随筆『玉勝間』を著すなど、多岐にわたる執筆活動を行った。

宣長自身は政治的変革を直接意図したわけではなく、あくまで学問的探求として「古道」を究明した学者であった。しかし、彼の説いた「漢意」の排除と「日本独自の道」の絶対視は、没後に平田篤胤らによって宗教的・実践的な復古神道へと展開された。そして幕末期には、天皇を尊び外圧を排する尊王攘夷運動の強力な思想的基盤となり、明治維新という近代国家建設の原動力の一つへと昇華していった。本居宣長の学問は、単なる古典研究の枠を超え、日本の歴史を動かす巨大な潮流を生み出したと言える。

仁斎・徂徠・宣長 (1975年)

江戸から明治へ続く日本の知の系譜を、三賢人の思想的対立と連関から鮮やかに描き出す、日本思想史の傑作。

本居宣長 (中公新書)

国学の巨頭が遺した膨大な業績を解読し、当時の精神風土の中で彼が真に追い求めた「古の心」を炙り出す評伝。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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