所得倍増政策

池田勇人内閣が1960年に策定した、今後10年間で日本の経済規模と国民の収入を2倍に引き上げることを目標とした政策を何というか?
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所得倍増政策

1960年

【概説】
1960年に成立した池田勇人内閣が打ち出した、10年間で実質国民総生産(GNP)と国民の所得を2倍に引き上げることを目標とした長期経済計画。安保闘争による政治的対立から国民の関心を経済に向けさせ、高度経済成長を牽引する原動力となった。民間企業の旺盛な活力を引き出し、目標を大幅に前倒しで達成して日本の経済大国化を決定づけた重要な政策である。

安保闘争から「寛容と忍耐」の経済優先へ

1960年、日米安全保障条約の改定をめぐる激しい大衆運動(安保闘争)によって社会は深刻な分断と混乱に陥り、強行採決を行った岸信介内閣は退陣を余儀なくされた。その後を受けて成立した池田勇人内閣は、政治的なイデオロギー対立を避けるため、「寛容と忍耐」をスローガンに掲げて国民の融和を図った。

池田内閣は、分断された国民の関心を日々の生活向上に向けさせるべく、誰もが恩恵を実感できる「所得の倍増」という極めて分かりやすい目標を提示した。これにより、政治闘争のエネルギーは経済活動へと転換され、国民的統合と政権の安定をもたらすことに成功したのである。

国民所得倍増計画の策定と具体策

1960年12月、政府は下村治らエコノミストの理論的裏付けをもとに「国民所得倍増計画」を閣議決定した。これは1961年度からの10年間で、実質国民総生産(GNP)を26兆円(1958年度価格)へと倍増させることを目標とするものであった。

計画を達成するための具体的な柱として、道路や港湾などの社会資本の充実、重化学工業を中心とする産業構造の高度化、貿易と為替の自由化の推進、そして科学技術の振興と人的能力の向上が掲げられた。また、効率的な工業化を推進するため、関東から北部九州にかけての沿岸部に工業地帯を集中させる太平洋ベルト地帯構想が盛り込まれたことも大きな特徴である。

目標の前倒し達成と経済大国化

政府が明確な成長ビジョンを示したことで、民間企業は将来の市場拡大を見越して競うように大規模な設備投資と技術革新(イノベーション)を行った。加えて、国民の豊富な貯蓄と質の高い勤勉な労働力、安価な輸入エネルギー(石油)などの好条件にも恵まれ、日本経済は政府の予測を遥かに上回るペースで成長を続けた。

その結果、年平均10%を超える驚異的な経済成長を記録し、所得倍増の目標は計画期間の半ばである1967年に早くも実質ベースで達成された。この成長の過程で、国民の消費生活は豊かになり、カラーテレビ(Color TV)、クーラー(Cooler)、自動車(Car)の「3C(新・三種の神器)」が一般家庭に普及した。そして1968年には、日本のGNPは西ドイツを抜き、資本主義国においてアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国へと躍進したのである。

経済成長の歪みと新たな社会問題

所得倍増政策は日本に未曾有の繁栄をもたらしたが、同時に深刻な社会の歪みも生み出した。太平洋ベルト地帯への急激な産業と人口の集中は、都市部における住宅難や交通渋滞などの過密問題と、農村部における労働力不足や地域社会の崩壊といった過疎問題を同時に引き起こした。

さらに、経済効率を最優先した急速な重化学工業化は、自然環境の破壊を招いた。水質汚濁や大気汚染などによる公害問題が全国各地で顕在化し、四大公害病をはじめとする深刻な健康被害を引き起こすこととなった。このように、所得倍増政策がもたらした「光と影」のうち、高度成長のひずみである「影」の解消は、1970年代以降の日本社会における最大の政治的課題となっていくのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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