北陸道

重要度
★★

北陸道 (ほくりくどう)

7世紀後半〜

【概説】
古代の律令制において制定された広域地方行政区分「五畿七道」の一つ。畿内から日本海沿いに東進し、若狭国から越後国、および佐渡国にいたる行政地域、およびそれらを結ぶ官道の総称。

律令体制における「北陸道」の成立と構成国

古代日本における律令国家の形成期にあたる飛鳥時代後期(7世紀後半)、都を中心とする交通網および行政区分として五畿七道が整備された。北陸道はその「七道」の一つであり、かつて「高志(こし、越)」と呼ばれた日本海沿いの広大な地域を基礎としている。

北陸道に属する令制国は、畿内に近い側から若狭国(福井県南部)、越前国(福井県北部)、加賀国(石川県南部)、能登国(石川県北部)、越中国(富山県)、越後国(新潟県)、そして離島である佐渡国(新潟県佐渡島)の7カ国である。なお、加賀国は平安時代初期の823年に越前国から分立した、日本で最も新しく設置された令制国の一つとして知られる。

これら各国の国府を結ぶ主要幹線道路(官道)としての北陸道は、山陽道(大路)や東海道(中路)に次ぐ「小路」に位置づけられていたが、日本海側の政治・軍事・経済を支える極めて重要なルートであった。

対蝦夷政策と軍事・外交上の重要性

北陸道が飛鳥時代から奈良時代にかけて急速に整備された背景には、大和朝廷による東北地方の不服従勢力(蝦夷・えみし)に対する支配拡大政策がある。

越後国には、対蝦夷の軍事・開拓拠点として渟足柵(ぬたりのき、647年設置)や磐舟柵(いわふねのき、648年設置)が築かれ、これら最前線への兵員や物資の輸送路として北陸道が機能した。さらに、対岸の渤海国(中国東北部にあった国)からの使節が能登国や佐渡国に漂着・来航することも多く、それらの使節を都(平城京や平安京)へと安全に誘導・護送するための外交ルートとしての役割も担っていた。

水陸の要衝としての展開と後世への影響

北陸道は、単なる陸路のみならず、日本海の水運と深く結びついていた点に大きな特徴がある。北陸各地で収穫された米や特産品(海産物や繊維類など)は、日本海の海上輸送によって若狭国の小浜や越前国の敦賀などの港に集められた。そこから陸路で琵琶湖へと運ばれ、さらに湖上水運を利用して京都へと運ばれるという「琵琶湖・若狭ルート」が確立された。

この水陸一体となった輸送網は、中世の日本海交易や、近世(江戸時代)に一世を風靡した北前船(きたまえぶね)の西回り航路の基礎となり、近代にいたるまで日本の経済と文化の流通を支え続けることとなった。

地図でスッと頭に入る 古事記と日本書紀

神話の世界を地図と図解で整理し、複雑な物語のあらすじを視覚的に理解できるよう構成された入門書。

15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

各地に伸びる15の街道を軸に、歴史の舞台となった場所の変遷と時代のうねりを読み解く画期的な日本史ガイド。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 刑部親王や藤原不比等に命じて701年に大宝律令を完成・施行させ、本格的な律令国家の歩みを進めた天皇は誰か?
Q. 律令国家において、貴族や官僚に必須の教養とされた、中国の作法に則って書かれた詩や文章を総称して何というか?
Q. 渡来人系の豪族である秦河勝が、聖徳太子から仏像を譲り受けて京都に建立したとされる、秦氏の氏寺はどこか?