御家流
【概説】
平安時代の和様書道の流れを汲む青蓮院流(しょうれんいんりゅう)が発展し、江戸幕府の公用書体として採用された書風。実用性と調和のとれた美しさを備え、江戸時代の公文書から寺子屋の教育にいたるまで、社会全体に広く普及した近世日本の標準書体である。
青蓮院流の継承と幕府公認書体への道
御家流のルーツは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、伏見天皇の第6皇子である尊円法親王(そんえんほうしんのう)が創始した青蓮院流にある。これは、平安時代の和様書道に宋代の中国書風(宋風)を取り入れたもので、豊潤で躍動感のある実用的な美しさが特徴であった。室町時代には武家や禅僧の間で尊ばれ、やがて織田信長や豊臣秀吉などの天下人にも愛好された。
江戸時代に入ると、江戸幕府の初代将軍である徳川家康がこの書風を好み、幕府の公式な文書(公用書体)として採用した。これにより、従来の青蓮院流は「御家(将軍家・幕府)の流派」という意味を込めて御家流と呼ばれるようになり、幕閣や諸藩の右筆(官僚)が公文書を執筆する際の基準となった。
庶民への普及と明治以降の変遷
幕府や諸藩の制札、触状、各種免状などがすべて御家流で書かれたため、支配される側の町民や百姓にとっても、この書風を読みこなすことは実生活において必須の能力となった。その結果、全国の寺子屋で用いられた往来物(教科書)の手本として御家流が広く採用され、日本人の識字率向上と文化的均一化に大きく貢献することとなった。
こうして江戸期を通じて日本を代表する書体として定着した御家流であったが、明治維新を迎えると大きな転換期を迎える。近代国家の建設を目指す明治政府が、官庁の公文書や学校教育において、より平明で印刷に適した「唐様(中国風の楷書)」や西洋式の印刷文字を採用したことにより、御家流は公の場から急速に姿を消していくこととなった。