官立大学
1877年〜
【概説】
国(政府)が直接資金を出して設立・管理・運営を行った国立の大学。明治政府が急いだ近代国家建設において、官僚や技術者などのエリートを育成するための中核的な役割を担った。
官立大学の誕生と国家主導の近代化
明治政府は、欧米列強に対抗するために「富国強兵」や「殖産興業」をスローガンに掲げ、急速な近代化を推し進めた。その一環として、国家の近代化を担う指導的指導者や専門技術者の育成が急務となった。1877(明治10)年、江戸幕府以来の教育機関(開成学校、医学校)を統合・再編する形で、日本初の官立大学である東京大学が設立された。官立大学は多額の国費を投入して運営され、高額な給与で「お雇い外国人」教師を招聘して、最新の西洋学術の導入と定着に努めた。民間の資金力や自主性に委ねるのではなく、国家が強力な主導権を握って教育制度を整備した点に、日本近代教育の最大の特徴がある。
教育体系の整備と社会への影響
1886(明治19)年に初代文部大臣森有礼のもとで帝国大学令が公布されると、東京大学は「帝国大学」へと改組され、「国家ノ須要(必要)ニ応ズル学術」を教授・研究する最高府として法的に位置づけられた。その後、京都、東北、九州、北海道などに帝国大学が順次新設され、官立大学のネットワークが形成されていく。さらに1918(大正7)年の大学令公布にともない、私立や公立の大学設立が認められたことで、これらと区別する呼称として「官立大学」の区分がより明確となった。官立大学の卒業生は官界(官僚)や学界、法曹界の要職を独占し、近代日本の特権的なエリート層を形成していくこととなった。