東京大学
【概説】
1877年(明治10年)に東京開成学校と東京医学校を統合して設立された、日本初の官立(国立)総合大学。近代国家の形成に必要な官僚、技術者、専門家などの国家エリートを育成する最高学府として、日本の近代化において中心的な役割を果たした。
設立の経緯と前身機関の系譜
東京大学の起源は、江戸幕府が設置した学問所にまで遡る。幕府の洋学研究機関であった開成所を引き継いだ東京開成学校と、同じく幕府の医学所を起源とする東京医学校が、1877年4月に統合されることで誕生した。設立当初は法学・理学・文学・医学の4学部から構成され、欧米の先進的な制度や学問、技術を導入するための教育研究拠点として位置づけられた。
当時の日本は明治維新後の近代国家建設期にあり、西洋学術の早急な摂取が求められていた。そのため、初期の講義の多くは「お雇い外国人」と呼ばれたおもに欧米出身の外国人教師によって、英語やドイツ語、フランス語で行われ、日本人の高等教育の基盤が急ピッチで整備された。
帝国大学令と国家エリート養成機能の強化
1886年(明治19年)、初代文部大臣の森有礼によって学校令が制定されると、東京大学は工部省管轄の工部大学校を統合し、帝国大学(のちの東京帝国大学)へと改組された。この帝国大学令により、大学は単なる学術追究の場にとどまらず、「国家ノ須要(しゅよう)ニ応ズル学術技芸」を教授・研究する国家的な機関として明確に再定義された。
特に法科大学(現在の法学部)の卒業生には、高等文官試験の第一次試験免除などの特権が与えられた。これにより、東京大学は近代日本の官僚機構を支える優秀な人材を供給する、事実上の最高行政エリート養成機関としての性格を強めていくこととなった。
学術の自立と「お雇い外国人」からの脱却
明治中期以降、欧米への留学から帰国した日本人研究者が増えるにつれ、それまで外国人教師に依存していた講義や研究の主導権は、徐々に日本人教授へと移っていった。講義も日本語で行われる割合が増え、西洋学問の単なる模倣から、日本独自の学術研究の確立へと発展を遂げた。この学術的自立は、近代日本の主権とアイデンティティを支える知的基盤の確立を意味するものであった。