均分相続 (きんぶんそうぞく)
【概説】
第二次世界大戦後の民法改正によって導入された、配偶者や子などの相続人が男女や長幼の区別なく等しい割合で遺産を分割して相続する制度。戦前の「家」制度に基づく家督相続を廃止し、日本国憲法が掲げる個人の尊厳と両性の本質的平等を実現するために定められた画期的な相続制度である。
明治民法「家督相続」の否定と戦後改革
戦前の日本において、家族や財産のあり方を規定していたのは明治民法(旧民法)であった。そこでは「家」の存続が最優先され、戸主の交代に伴って家の全財産が次の戸主(原則として長男)に一括して受け継がれる家督相続が制度化されていた。この制度は、家産の散逸を防ぐという目的があった一方で、長男以外の次男・三男や女性の相続権を著しく制限し、家父長制的な家族秩序を維持する役割を担っていた。
しかし、第二次世界大戦後の1946年に制定された日本国憲法第24条において、家族における個人の尊厳と両性の本質的平等が明記されたことで、従来の家制度は憲法違反となった。これを受けて1947年に民法が抜本的に改正(いわゆる新民法の制定)され、家制度と家督相続は廃止された。これに代わって導入されたのが均分相続であり、配偶者や全ての子供が法的に平等の割合で遺産を相続する権利を得ることとなった。
農村社会における摩擦と実態の乖離
均分相続の導入は民主的な大改革であったが、当時の日本社会、特に農村部においては大きな混乱と反発を引き起こした。同時代にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の主導で行われた農地改革により、多くの自作農が誕生していたが、均分相続を厳格に適用すると、狭小な農地が兄弟姉妹間でさらに細分化され、農業経営が成り立たなくなるという現実的な問題が生じたためである。
このため、法制度上は均分相続が原則となったものの、実際の農村部では、農業経営を維持するために長男以外の兄弟姉妹が相続権を放棄し、実質的な単独相続を行う慣行が長く続いた。均分相続が名実ともに社会へ定着していくには、高度経済成長期を経て都市化が進み、大家族から核家族へと社会構造が大きく変化していくプロセスが必要であった。