東京医学校 (とうきょういがっこう)
1874年〜1877年
【概説】
明治初期の日本において、近代医学教育の確立に中核的な役割を果たした官立の教育機関。江戸幕府が設立した種痘所を起源に持ち、大学東校などの改称を経て設置され、のちに東京開成学校と合併して東京大学医学部の母体となった。
幕末からの歩みとドイツ医学の採用
東京医学校の起源は、安政5年(1858年)に江戸の蘭方医たちが神田に共同で設立したお玉ヶ池種痘所にさかのぼる。この施設はのちに幕府直轄の「医学所」となり、明治維新後は新政府に接収されて「大学東校」や「東校」へと改称・再編が繰り返された。そして1874年(明治7年)、文部省管轄のもとで東京医学校として独立した組織となった。
同校の最大の特徴は、明治政府の国策としてドイツ医学を全面的に導入した点にある。当時の政府は医学教育の範を世界最高水準にあったドイツ帝国に求め、ドイツから招聘された軍医のホフマンやミュルレルらが本格的な近代医学教育を施した。この方針は、その後の日本の医学界がドイツ医学を主軸として発展する決定的な契機となった。
東京大学の創設と本郷への移転
1877年(明治10年)4月、東京医学校は、法学・理学・文学などを講じていた官立学校である東京開成学校と合併した。これにより、日本初の近代的な総合大学である東京大学が誕生し、東京医学校は同大学の医学部へと改編された。
合併前年の1876年(明治9年)、東京医学校はそれまでの神田和泉町から、本郷の加賀藩前田家下屋敷跡へと移転していた。この移転が契機となり、現在の東京大学本郷キャンパスが形成されることとなる。東京医学校から東京大学医学部への発展は、近代国家としての公衆衛生の整備や、西洋医学を担うエリート医師の育成において極めて重要な意義を持っていた。