奉天

張作霖の本拠地であり、彼が乗った列車が関東軍によって爆破された現場(事件名にも含まれる)はどこ(の郊外)か?
カテゴリ:
重要度
★★

奉天 (ほうてん)

【概説】
中国東北部(満州)の歴史的中心都市。清朝の陪都(第二の首都)であり、近代においては軍閥・張作霖の本拠地として、また日露戦争の激戦地や張作霖爆殺事件の舞台として、近代日中関係史において極めて重要な役割を果たした地である。

清朝の発祥地から近代の要衝へ

奉天(現在の遼寧省瀋陽市)は、古くから東アジアの交通・軍事の要衝であった。17世紀初頭、女真族(満洲族)のヌルハチが建国した「後金」(後の)がここに都を置き、のちに「盛京(せいけい)」と改称された。清が明を滅ぼして北京に遷都した後も、奉天は王朝発祥の「陪都(第二の首都)」として特別に重視され続けた。

近代に入ると、奉天は南満州鉄道(満鉄)をはじめとする鉄道網の結節点となり、満州の豊かな農産物や鉱山資源が集散する経済・産業の中心地として急速に発展した。日露戦争(1904〜05年)の最終盤には、日露両軍が計60万人の大軍を投じて激突した「奉天会戦」の舞台となり、日本軍が勝利を収めたことで、日本の満州進出の足がかりが作られることとなった。

張作霖の台頭と「奉天派」による支配

辛亥革命によって清朝が崩壊すると、中国大陸は軍閥が割拠する混迷の時代を迎えた。その中で奉天を本拠地として台頭したのが、馬賊出身の軍閥・張作霖(ちょうさくりん)である。張作霖は奉天省をはじめとする東三省(満州)の実権を握り、「奉天派」と呼ばれる大軍閥を形成した。

第一次世界大戦後の日本(特に関東軍)は、満州における自国の権益(満蒙の特殊権益)を維持・拡大するため、張作霖の軍事力を利用しようと彼を財政的・軍事的に支援した。これにより張作霖は、満州の安定を背景に中国本土の政権争い(北京政府の主導権争い)へと深く介入していくこととなった。

張作霖爆殺事件と満州事変への道筋

1920年代後半、蒋介石率いる国民革命軍の北伐が本格化すると、北京を占領していた張作霖は劣勢に立たされ、本拠地である奉天への撤退を余儀なくされた。これを、満州を日本の直接支配下に置く絶好の機会と捉えた関東軍の高級参謀・河本大作大佐らは、独断で張作霖の暗殺を計画した。

1928年(昭和3年)6月4日、奉天郊外の皇姑屯(こうことん)付近において、張作霖が乗った列車が爆破され、彼は命を落とした(張作霖爆殺事件)。日本国内では「満洲某重大事件」として真相が伏せられたが、この謀略は現地の反日感情を決定的に悪化させ、張作霖の後を継いだ息子の張学良が蒋介石の国民政府に合流(易幟)する結果を招いた。この挫折が、のちに関東軍をして強硬な武力占領へと走らせる引き金となり、1931年の満州事変へとつながっていくこととなる。

満洲国物語 〈下〉

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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