天照大神

重要度
★★★

天照大神

【概説】
日本神話において皇室(大王家)の祖神と位置づけられ、伊勢神宮の内宮に祀られている最高神。太陽神としての性格を持ち、神々の住む高天原を統治する主宰神として描かれる。古墳時代から飛鳥時代にかけての大和政権による国家統一と王権の正当化の過程において、その神格が体系化・確立されていった。

記紀神話における位置づけと太陽神の性格

『古事記』や『日本書紀』の神話において、天照大神は伊奘諾尊(いざなぎのみこと)の禊(みそぎ)の際に左目から誕生したとされ、神々が住む天上世界である高天原(たかまのはら)の統治を委任された。その性格は農耕社会において生命の源となる太陽神としての側面が強く表れている。特に有名な「天岩戸(あまのいわと)」の神話では、天照大神が岩戸に隠れることで世界が暗闇に包まれ、岩戸から出てくることで再び光を取り戻したと語られており、これは太陽の死と再生、あるいは冬至の祭祀を神話化したものと考えられている。

また、天照大神は孫にあたる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に対し、地上世界である葦原中国(あしはらのなかつくに)を永遠に統治するよう命じる「天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく)」を下し、その証として三種の神器(八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣)を授けたとされる。この天孫降臨神話は、天皇(大王)が日本を支配する歴史的・宗教的な正当性の根拠として位置づけられた。

大王家の祖神としての成立過程

歴史学の観点からは、天照大神が最初から皇祖神であり最高神であったわけではないと考えられている。大和政権(大王家)が古墳時代を通じて国内の有力氏族を服属させ、国家統一を進めていく過程で、各氏族が信仰していた神々を大王家の神を中心とした一つの神話体系に組み込み、序列化する必要が生じた。

記紀神話の古い伝承の層には、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)が本来の皇祖神・最高神であった痕跡が残されている。大和政権の権力基盤が固まるにつれて、農耕に不可欠な太陽信仰と、在地勢力の神々が統合されていった。さらに、7世紀後半の白村江の戦い以降の国家危機を契機として、天皇への権力集中と律令国家の建設を推し進めた天武天皇・持統天皇の時代に、国家の正史編纂事業と並行して、天照大神を名実ともに皇祖神・最高神とする神話体系が最終的に完成・確立されたとする説が有力である。

伊勢神宮の創建と祭祀の整備

天照大神は、伊勢神宮(皇大神宮・内宮)の祭神として祀られている。神話では、かつて宮中に祀られていた天照大神が崇神天皇の時代に宮外に出され、垂仁天皇の時代に倭姫命(やまとひめのみこと)によって現在の伊勢の地に鎮座したとされている。歴史的には、5世紀後半から6世紀にかけて、大和政権が東国へ進出するにあたり、交通の要衝であり太陽が昇る東方にあたる伊勢の地を重視し、祭祀の拠点を整備したものと推測されている。

飛鳥時代から奈良時代にかけて、伊勢神宮の祭祀は国家的な制度として整えられた。天皇に代わって未婚の皇女が伊勢に赴き神に仕える斎王(さいおう)の制度が天武朝に確立し、さらに社殿を20年ごとに造り替える式年遷宮も持統朝に開始されるなど、天皇と天照大神を結びつける極めて特殊で神聖な祭祀体制が構築された。

後世への影響と信仰の展開

古代国家の成立とともに最高神となった天照大神は、その後の日本の歴史においても重要な役割を果たし続けた。平安時代以降に神仏習合が進むと、本地垂迹説に基づき、宇宙の真理そのものである仏教の大日如来と同一視されるようになった。中世には伊勢神宮の神官たちによって独自の神道理論(伊勢神道)が形成され、近世に入ると庶民の間でも伊勢参り(お蔭参り)が爆発的な流行を見せ、天照大神への信仰は日本全国に広く定着した。

さらに明治維新後には、天皇を中心とする近代国民国家の形成(国家神道)において、天照大神の神話は国民統合の精神的支柱として決定的な役割を担わされた。第二次世界大戦後の神道指令により国家と神道は分離されたものの、現在においても天照大神は皇室祭祀の中心であり、日本人の信仰生活や精神史を語る上で欠かすことのできない存在である。

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