大友黒主 (おおとものくろぬし)
生没年不詳・9世紀後半から10世紀初頭頃に活動
【概説】
平安時代前期の歌人で、紀貫之が『古今和歌集』の仮名序で挙げた六歌仙の一人。近江国(現在の滋賀県)の土豪出身と伝えられるが、経歴には謎が多い野生派の歌人。
六歌仙としての評価と素朴な歌風
大友黒主は、平安前期を代表する6人の和歌の名手「六歌仙」に数えられているが、その身分は極めて低く、あるいは無官のまま生涯を終えたともいわれる。紀貫之は『古今和歌集』の仮名序において、黒主の歌風を「言はば、薪負へる山人の、花の陰にやすめるがごとし」(薪を背負った山人が桜の木の下で休んでいるようだ)と評した。これは、宮廷貴族特有の洗練された雅(みやび)さには欠けるものの、鄙びた素朴さと独特の味わい、力強さがあることを表現したものである。『古今和歌集』には彼の歌が4首入集しており、身分の壁を超えてその実力が認められていたことが伺える。
謎に包まれた出自と後世の伝説化
黒主の出自については諸説あり、大津宮を営んだ天智天皇の子・大友皇子(弘文天皇)の後裔とする説や、近江国志賀郡大友郷の地元の神職であったとする説などがある。その謎めいた人物像と、六歌仙の中で唯一「小野(小野小町)」や「在原(在原業平)」といった名門貴族ではない異色の出自は、後世の人々の想像力を大いに刺激した。中世以降の能楽(謡曲)では、小野小町に嫉妬して歌合で卑劣な策を講じる『草紙洗小町』や、桜の木を切り倒そうとする『黒主』などの演目で劇的な悪役・異能の歌人としてキャラクター化され、歌舞伎や伝説のなかで広く語り継がれる存在となった。