大友黒主

高校日本史的重要度

【参考リンク】
大友黒主(Wikipedia)

大友黒主 (おおとものくろぬし)

生没年不詳・9世紀後半から10世紀初頭頃に活動

【概説】
平安時代前期の歌人で、紀貫之が『古今和歌集』の仮名序で挙げた六歌仙の一人。近江国(現在の滋賀県)の土豪出身と伝えられるが、経歴には謎が多い野生派の歌人。

六歌仙としての評価と素朴な歌風

大友黒主は、平安前期を代表する6人の和歌の名手「六歌仙」に数えられているが、その身分は極めて低く、あるいは無官のまま生涯を終えたともいわれる。紀貫之は『古今和歌集』の仮名序において、黒主の歌風を「言はば、薪負へる山人の、花の陰にやすめるがごとし」(薪を背負った山人が桜の木の下で休んでいるようだ)と評した。これは、宮廷貴族特有の洗練された雅(みやび)さには欠けるものの、鄙びた素朴さと独特の味わい、力強さがあることを表現したものである。『古今和歌集』には彼の歌が4首入集しており、身分の壁を超えてその実力が認められていたことが伺える。

謎に包まれた出自と後世の伝説化

黒主の出自については諸説あり、大津宮を営んだ天智天皇の子・大友皇子弘文天皇)の後裔とする説や、近江国志賀郡大友郷の地元の神職であったとする説などがある。その謎めいた人物像と、六歌仙の中で唯一「小野(小野小町)」や「在原(在原業平)」といった名門貴族ではない異色の出自は、後世の人々の想像力を大いに刺激した。中世以降の能楽謡曲)では、小野小町に嫉妬して歌合で卑劣な策を講じる『草紙洗小町』や、桜の木を切り倒そうとする『黒主』などの演目で劇的な悪役・異能の歌人としてキャラクター化され、歌舞伎や伝説のなかで広く語り継がれる存在となった。

最終更新:
2026年6月26日 @ 14:19

日本史一問一答(ランダム)

Q. 1615年、和議ののちに再び開戦し、徳川家康が大坂城を攻め落として豊臣氏を完全に滅ぼした戦いを何というか?
Q. 日本社会党の内部において、片山潜らが主張した、普通選挙運動や議会での活動を通じて合法的に社会を改革しようとする立場を何というか?
Q. 1774年、杉田玄白や前野良沢らが苦心してオランダ語から翻訳し、日本の医学・蘭学に大きな影響を与えた解剖書は何か?