勾玉 (まがたま)
【概説】
一端に穿孔(穴あけ)処理が施された、湾曲した独自の形状を持つ日本古代の装身具。宗教的・呪術的な意味合いを強く持ち、古墳の副葬品や神宝として重要な役割を果たした文化遺産。
勾玉の起源と素材・形状の変遷
勾玉の起源は古く、縄文時代前期にまで遡る。初期のものは野生動物の牙や骨に穴を開けて首飾りにした「獣歯牙(じゅうしが)製ペンダント」を祖形とする説が有力である。縄文時代晩期から弥生時代にかけて徐々にC字型の定型的な形状へと変化していき、古墳時代にその最盛期を迎えた。
素材としては、新潟県糸魚川(いといがわ)流域を一大産地とする翡翠(ヒスイ)が最も珍重された。その他にも、碧玉(へきぎょく)、瑪瑙(メノウ)、水晶、ガラスなど、多彩な鉱物や貴石が用いられた。特に古墳時代中期以降は滑石(かっせき)を用いた簡素な勾玉が大量生産され、祭祀の道具として普及していった。
呪術的信仰と首長権の象徴
勾玉はその独特な曲がった形状から、月(三日月)を模したものとする説や、胎児の形を表したとする説、動物の牙を模したとする説などがある。いずれにしても古代日本において強力な霊力(シャマニズム的魔力)が宿る呪術的な道具とみなされていた。古墳の被葬者の胸元や頭部付近から多く出土することから、首長などの権力者が自らの司祭者的権威を示すための装身具であったと考えられている。
この呪術的な意義はのちの王権の正統性とも結びつき、歴代天皇が継承する「三種の神器」の一つである八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)へと昇華された。記紀神話(『古事記』『日本書紀』)においても、天照大神の天岩戸隠れの際などに登場し、王権のシンボルとして極めて重要な位置を占めている。
東アジア交易と勾玉の広がり
勾玉は日本列島独自の文化要素と考えられがちだが、古代の東アジアにおける文化交流を示す貴重な史料でもある。朝鮮半島南部の新羅(しんら)や百済(くだら)、加耶(かや)地方の遺跡、特に新羅の金冠(王冠)の装飾として、日本の糸魚川産翡翠で作られた勾玉が多数発見されている。
これは、倭(古代日本)と朝鮮半島諸国との間に緊密な外交関係や交易ルートが存在していた動かぬ証拠であり、当時の列島首長層が半島の先進的な鉄資源や文化を導入する引き換えとして、日本特産の翡翠製勾玉を贈与していた実態を示している。