労働三権(団結権・団体交渉権・争議権)
【概説】
労働組合法および日本国憲法第28条によって保障された、労働者が使用者と対等な立場で労働条件の改善を求めるための基本的な3つの権利。団結権・団体交渉権・争議権からなり、戦後日本の民主化と労働環境の抜本的な改善に大きく寄与した。
戦前の労働環境とGHQの民主化指令
戦前の日本においては、資本主義の発展とともに労働運動が発生したものの、政府はこれを危険視し、1900年の治安警察法や1925年の治安維持法などによって厳しく弾圧してきた。そのため、労働者が自らの権利を公然と主張することは極めて困難であり、低賃金や長時間労働といった劣悪な労働条件が常態化していた。
しかし、1945年(昭和20年)の太平洋戦争敗戦後、日本を間接統治したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、日本の非軍事化と民主化を強力に推進した。最高司令官マッカーサーが幣原喜重郎内閣に指示した「五大改革指令」の中に「労働組合の結成奨励」が盛り込まれたことにより、労働者の権利保障は戦後民主化の最重要課題の一つとして位置づけられることとなった。
労働組合法の制定と憲法第28条による保障
GHQの指令を受け、政府は1945年12月に労働組合法を制定し、日本で初めて労働者の団結権、団体交渉権、争議権(ストライキ権)という労働三権を法的に承認した。さらに、1946年(昭和21年)に公布された日本国憲法においては、第28条で「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」と明記された。
これにより、労働三権は単なる法律上の権利ではなく、憲法が保障する基本的人権(社会権)の一部として確固たる地位を築いたのである。具体的には、労働者が労働条件の維持改善のために組合を結成する「団結権」、組合が使用者と対等な立場で労働条件について交渉する「団体交渉権」、要求が容れられない場合に同盟罷業(ストライキ)などの実力行使を行う「争議権(団体行動権)」の3つから構成されている。
労働三法の完成と戦後社会への影響
労働三権の保障を実効性のあるものにするため、翌1946年には労働争議の予防と平和的解決を目的とする労働関係調整法が、1947年には労働条件の最低基準を定めた労働基準法が制定された。これらは前述の労働組合法と合わせて「労働三法」と呼ばれる。
これらの画期的な法整備により、戦後日本の労働組合組織率は急激に上昇し、労働運動はかつてない高揚を見せた。労働者が使用者と対等な立場で賃金引き上げや労働環境の改善を要求できるようになったことは、戦後日本の経済復興と、国民の生活水準の向上に不可欠な役割を果たした。
労働運動の激化と労働三権の制限
しかし、労働三権の獲得による労働運動の急進化は、やがて冷戦の激化に伴うGHQの占領政策の転換(逆コース)と衝突することになる。1947年に計画された大規模な二・一ゼネストが、マッカーサーの直接命令によって直前で中止させられた事件はその象徴である。
さらに1948年には、マッカーサーの書簡に基づき政令201号が発出され、国家公務員および地方公務員の団体交渉権と争議権が剥奪された。その後、国家公務員法や地方公務員法、公共企業体等労働関係法(公労法)の改正が行われ、公務員や国鉄などの公共企業体職員の労働三権は部分的に制限される体制が定着した。このように、労働三権は絶対無制限に認められたわけではなく、公共の福祉や国家体制との間で絶えずせめぎ合いながら、今日の日本の労使関係の基礎を形成していったのである。