閑院宮典仁親王 (かんいんのみやすけひとしんのう)
1733〜1794
【概説】
江戸時代中期の皇族で、東山天皇の孫にあたる閑院宮家第2代当主。第119代光格天皇の実父であり、朝廷と江戸幕府の間で激しい政治対立を引き起こした「尊号事件」の中心人物。
光格天皇の即位と「直系」の断絶
江戸時代中期の1779年、後桃園天皇が後嗣(男子)を遺さずに崩御したため、中御門天皇系の中宮直系が途絶えることとなった。これを受け、急遽、四親王家の一つである閑院宮家から、典仁親王の第六王子である師仁親王が皇位を継承し、光格天皇として即位した。これにより、典仁親王は「天皇の実父」となったが、自身は天皇の位に就いたことがないという、変則的な事態が生じることとなった。
尊号事件の勃発と幕府の拒絶
光格天皇は、自らの実父である典仁親王に対し、引退した天皇に贈る太上天皇(上皇)の尊号を贈ろうと望んだ。朝廷側もこれに賛同し、江戸幕府に対して尊号宣下の許可を求めた。しかし、時の老中・松平定信は、寛政の改革を推進する立場から朱子学的な「名分論」を重視し、皇位に就いていない者への尊号宣下は秩序を乱すとして、これを頑なに拒否した。この朝廷と幕府による数年間に及ぶ対立は尊号事件(尊号一件)と呼ばれ、武家伝奏の更迭や公家たちの処分にまで発展した。結局、典仁親王の存命中に尊号が贈られることはなかったが、明治維新後の1884年(明治17年)に「慶光天皇」の諡号と太上天皇の尊号が追贈され、名誉が回復された。