元老院

漸次立憲政体樹立の詔により、従来の左院を廃止して新たに設けられた、法律案の審議を行う機関は何か?
カテゴリ:
重要度
★★

元老院

1875〜1890年

【概説】
明治初期に設置された、法律の起草や審議を担当した立法諮問機関。明治六年の政変後の政治的混乱を収拾するため、明治政府が「漸次立憲政体樹立の詔」に基づいて左院を廃止・発展させて組織した。後の帝国議会開設に先立ち、その橋渡し役として機能したのち廃止された。

大阪会議と元老院の設立背景

1873年(明治6年)の明治六年の政変によって、西郷隆盛や板垣退助ら多くの参議が下野した。その後、板垣らは自由民権運動を開始し、有司専制(藩閥政治)を厳しく批判して民撰議院の設立を求めた。これに対し、政権の維持と近代国家体制の整備を急ぐ大久保利通は、1875年(明治8年)に木戸孝允や板垣退助らと大阪会議を行い、政局の打開を図った。この合意に基づいて同年4月に「漸次立憲政体樹立の詔」が発布され、立憲政治への段階的な移行を約束する象徴として、太政官制の下の左院を廃止し、新たな立法準備機関として元老院が、司法機関として大審院がそれぞれ設置された。

元老院の組織と権限

元老院は、天皇の諮問に応じて法律の起草や審議を行う体制をとっていたが、独立した完全な立法権を持っていたわけではなかった。最終的な立法決定権は、行政の最高機関である正院(太政官)が握っており、元老院の役割はあくまで法律案の「事前審議」や「修正案の提出」という諮問機関的な性格にとどまっていた。初代議長には有栖川宮熾仁親王が就任し、議官には主に華族や官僚、知識人が任命された。このように政府の影響力を強く残しつつも、合議制による近代的な法制整備の基盤を整える上で重要な役割を果たした。

「日本国憲法草案」の起草と廃止

元老院の歴史における最大の業績の一つが、憲法の起草作業である。1876年(明治9年)、元老院は明治天皇からの勅令を受け、日本の国憲(憲法)の起草に着手した。数次にわたる改訂を経て、1880年(明治13年)に「日本国憲法草案」(通称:元老院憲法草案)を完成させた。この草案は、イギリスの立憲君主制を参考にし、君主権(天皇権限)を制限して議会の権限を比較的強く認めるリベラルな内容であった。しかし、岩倉具視や伊藤博文ら政府指導部は、この内容が急進的すぎる(天皇の主権が脅かされる)として退け、採用しなかった。その後、1889年(明治22年)に天皇主権を特色とする大日本帝国憲法が発布され、翌1890年(明治23年)に帝国議会が開設されると、元老院はその役割を終えて廃止された。元老院議官の多くは、新設された貴族院の勅選議員へと引き継がれていくこととなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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