表作・裏作 (おもてさく・うらさく)
【概説】
同一の耕地において1年の間に2種類の異なる作物を栽培する「二毛作」において、夏季に栽培される主たる作物(主に米)と、冬季に栽培される従たる作物(主に麦)を区別した呼び方。鎌倉時代中期以降、西日本を中心に普及した二毛作の進展を象徴する、日本の農業構造および社会変容を示す重要な概念である。
農業技術の進歩と二毛作の普及
鎌倉時代、日本の農業技術は著しい発展を遂げた。それまでの1年に1回のみ作物を栽培する単毛作から、同一の田地で夏に米を作り、秋の収穫後に排水を行って冬に麦を植える二毛作が、畿内や西日本一帯の先進地域から広がり始めた。この際、従来の主食であり貢納の対象でもある「米」の栽培が表作と呼ばれ、冬の間作である「麦」の栽培が裏作として明確に区別されるようになった。
この二毛作の成立を支えたのは、鉄製農具(鍬や鎌など)のさらなる普及や、家畜を利用した牛馬耕の一般化、さらには草木を刈って地中に埋める刈敷や、草木を焼いた灰といった肥料(自給肥料)の利用技術の向上であった。これらによって土地の地力消耗を補うことが可能となり、表作・裏作という安定的かつ連続的な土地利用が実現したのである。
表作・裏作がもたらした社会・経済の変容
表作と裏作の分化は、単なる食糧増産にとどまらず、中世の社会・経済構造に大きな変革を促した。伝統的な荘園領主による支配体制(荘園公領制)において、年貢は主に表作である「米」に対して賦課された。これに対し、裏作で生産される「麦」などは年貢の対象外とされることが多く、これらは農民自身の貴重な余剰食糧や、市場で売却するための商品作物となった。
これにより、農民層の経済的自立が進み、のちの惣村といった自治組織の形成や、各地の交通要地で開かれた三斎市などを介した貨幣経済(商品流通)の活性化を強力に後押しすることとなった。また、のちに裏作に対する領主側の課税強化(麦年貢の要求など)をめぐって、地頭や農民と荘園領主との間で新たな対立が生じる契機ともなった。