供御人 (平安中期~中世)
【概説】
天皇や皇室などの権門に特定の物資や労働を貢納する代わりに、諸国の関所通行税の免除や自由な交易活動などの特権を与えられた商人や手工業者。平安時代中期から中世にかけて広く存在し、中世における商業・流通の発達を支える重要な役割を果たした。
供御人の成立と「蔵人所」の役割
平安時代中期、律令体制が大きく変質し、国衙を通じた従来の物資調達制度が機能しなくなると、天皇や院などの権門は自らの直属機関である蔵人所(くろうどどころ)などを通じて、独自の物資調達網を構築するようになった。この流れの中で、皇室の日常の御用(供御)を務める商人や手工業者が編成されたのが供御人の始まりである。彼らは天皇という超越的な存在に直接奉仕・貢納することで、地方の受領(国司)や在地領主の支配から免れ、独自の立場を保障された。これにより、炭、魚、紙、油など多様な物資を納める供御人が全国各地に誕生することとなった。
通行税免除の特権と中世「座」への発展
供御人が朝廷から与えられた最大の特権は、諸国の関所における通行税(関銭)の免除や、他者の介入を受けずに商売を行うことができる独占的交易権であった。彼らはこれらの特権を背景に、広域的な商業・流通の主役として活躍した。中世に入ると、これらの供御人は特定の寺社を庇護者(本所)とする「神人(じにん)」などと同様に、自らの特権と独占販売権を守るための同業者組合である座(ざ)を形成し、中世の産業・商業における市場の主導権を握るようになっていった。
中世社会史における「非農業民」としての意義
近年の歴史学(特に網野善彦氏らの社会史研究)において、供御人は農業に従事しない「非農業民」や、中世の特異な社会階層を代表する存在として注目されてきた。供御人は天皇という「公の長」に直接直属することで、在地領主の世俗的な支配から身を浮かせ、自由な移動や交易を行う「無縁」的な性格を有していた。こうした特権的地位は、織豊政権や江戸幕府による兵農分離や楽市・楽座政策によって解体されていくが、中世日本の流通経済の活発化や、多様な民衆の自立を促した歴史的意義は極めて大きい。