並木千柳 (なみきせんりゅう)
1695年〜1751年
【概説】
江戸時代中期の浄瑠璃作者。二代目竹田出雲や三好松洛らとの共同執筆により、人形浄瑠璃の歴史に燦然と輝く傑作を次々と生み出した劇作家である。初期は「並木宗輔」の名で活動し、後に「並木千柳」と改名して大坂の竹本座で黄金時代を築いた。
竹本座における合作体制と人形浄瑠璃の黄金期
18世紀前半、近松門左衛門の没後に過渡期を迎えていた人形浄瑠璃界において、並木千柳(宗輔)は重要な役割を果たした。もとは僧侶であったとも、播磨国で志筑(しづき)大蔵と名乗る武士であったとも伝えられるが、のちに芝居の作者となった。大坂の豊竹座で並木宗輔として活躍した後、ライバル関係にあった竹本座へ移籍し、名を「並木千柳」と改めた。
千柳は竹本座において、興行師である二代目竹田出雲や、作者の三好松洛らと緊密な合作(共同執筆)体制を敷いた。この役割分担による集団創作システムは、複雑で重層的な劇的構成を可能にし、人形浄瑠璃をかつてない演劇的完成度へと引き上げる原動力となった。
「三大名作」の誕生と後世への多大な影響
千柳が竹田出雲や三好松洛らと手がけた『菅原伝授手習鑑』(1746年)、『義経千本桜』(1747年)、『仮名手本忠臣蔵』(1748年)の3作は、人形浄瑠璃(義太夫節)における「三大名作」と称される。特に『仮名手本忠臣蔵』は、元禄赤穂事件という世俗の話題を鎌倉時代に仮託して描き、空前の大ヒットを記録した。
千柳の劇作の特徴は、緻密なストーリー構成と、理不尽な社会的モラル(義理)と個人の感情(人情)の間で葛藤する人間心理の痛切な描写にある。これらの作品は、人形浄瑠璃の全盛期を創出しただけでなく、すぐに歌舞伎へと移植(歌舞伎化)され、現代に至る日本の伝統芸能における古典・最高峰として、今なお上演され続けている。