ロッシュ (ろっしゅ)
【概説】
幕末期に派遣されたフランスの第2代駐日公使。薩摩藩・長州藩を後ろ盾とするイギリスに対抗して江戸幕府を全面的に支援し、横須賀製鉄所の建設や軍政改革を通じて幕府の近代化を多方面から援助した外交官である。
親幕政策の展開とイギリスへの対抗
ロッシュは1864年(元治元年)、前任のデュシェーヌ・ド・ベルクールに代わって駐日公使として着任した。当時は尊王攘夷運動が激化し、幕末の政局が緊迫化していた時期である。ロッシュは、日本の正統な主権者は徳川将軍(幕府)であるとの認識に立ち、幕府を強力な中央集権国家へと再編することで、フランスの東アジアにおける影響力を拡大しようと試みた。
これは、薩摩藩や長州藩などの雄藩に接近し、貿易の拡大と親英政権の樹立を狙ったイギリスの駐日公使ハリー・パークスと真っ向から対立する構図を生み出した。幕末の政局は、薩長(イギリス支援)対幕府(フランス支援)という、欧州列強の対立関係が投影された代理戦争的な側面を帯びることとなった。
横須賀製鉄所の建設と軍制改革
ロッシュは幕府の勘定奉行などを務めた小栗忠順ら開明派官僚と深く結びつき、幕府の近代化改革を主導した。その象徴ともいえる事業が、1865年(慶応元年)に建設が開始された横須賀製鉄所(後の横須賀海軍工廠)である。ロッシュの仲介によってフランス人技術者レオンス・ヴェルニーが招へいされ、近代的なドックや工場の建設が進められた。これは日本の近代重工業の先駆けとなった。
さらにロッシュは、フランスからの資金援助(フランス借款)を画策したほか、軍事面ではフランス陸軍からシャノワールらの軍事顧問団を招聘した。彼らの指導のもとで幕府陸軍の近代化(伝習隊の組織など)が推し進められ、幕府側の軍事力は大幅に強化された。
大政奉還と政局の激変による失脚
15代将軍徳川慶喜に対しても、ロッシュは政治顧問のように国政改革の助言を行い、厚い信頼を得ていた。しかし、1867年(慶応3年)に慶喜が大政奉還を行い、さらに王政復古の大号令によって幕府が瓦解すると、ロッシュが描いていた「幕府を首班とする絶対主義国家の樹立」というシナリオは崩壊した。
戊辰戦争の勃発に際し、ロッシュは慶喜に再起を促したが、慶喜が恭順の姿勢をとったため、親幕政策は完全に失敗に終わった。フランス本国もイギリスとの決定的対立を避けるために「局外中立」の方針を決定しており、本国の意向から外れて幕府支援に深入りしすぎたロッシュは、1868年(明治元年)に公使を解任され、失意のうちに帰国した。