ニューディール政策 (にゅーでぃーるせいさく)
【概説】
世界恐慌に対し、アメリカ合衆国の大統領フランクリン・ローズヴェルトが1933年から推進した一連の経済復興・社会改革政策。従来の自由放任主義(自由主義経済)を改め、国家が経済活動に積極的に介入して購買力を回復させることで不況からの脱却をめざした。この政策思想は、同時代の日本の経済政策や、戦後の日本民主化改革にも大きな影響を及ぼした。
ニューディール政策の展開と国家主導の経済介入
1929年に発生した世界恐慌は、資本主義諸国に深刻な打撃を与えた。アメリカでは失業者が街に溢れ、従来の「小さな政府」による自然回復は不可能な状況に陥った。1933年に就任した民主党のF・ローズヴェルト大統領は、国家が積極的に市場をコントロールする「ニューディール(新規まき直し)」を断行した。
具体的には、テネシー川流域開発公社(TVA)を設立して大規模な公共事業による失業者救済と地域開発を推進したほか、農業調整法(AAA)による農産物価格の安定、全国産業復興法(NIRA)やワグナー法(全国労働関係法)による労働者の権利保護(団結権・団体交渉権の確立)を実施した。これらは、経済学者ケインズの理論とも呼応する、国家が需要を創出するという画期的な試みであった。
日本の「高橋財政」との対比と同時代性
アメリカがニューディール政策を展開していた1930年代前半、日本もまた昭和恐慌という未曾有の不況にあえいでいた。これに対処したのが、1931年末に大蔵大臣に就任した高橋是清である。高橋は金輸出再禁止を断行して管理通貨制度へ移行し、円安誘導による輸出振興をはかるとともに、日本銀行の引き受けによる赤字国債を発行して時局匡救事業(公共事業)や軍事費を拡張した。
この高橋財政は、国家の財政出動によって景気を刺激するという点で、米国のニューディール政策に先駆けるケインズ主義的政策であった。日本は世界に先駆けて恐慌から脱出したが、その後の軍事費膨張の抑制に失敗し、高橋是清が二・二六事件で暗殺されたことで、日本は軍部主導の戦時統制経済へと突き進むことになった。日米双方で国家主導の経済統制が進められたことは、同時代の世界的な潮流であったといえる。
戦後日本の民主化と「ニューディーラー」の影響
ニューディール政策は、第二次世界大戦後の日本における占領改革(民主化政策)にもきわめて深いかかわりを持っている。連合国軍総司令部(GHQ)の内部、特に民政局(GS)などには、かつてアメリカ国内でニューディール政策の立案や推進にかかわった「ニューディーラー」と呼ばれる進歩主義的な革新派官僚が多く在籍していた。
彼らは日本の戦後改革を「東洋におけるニューディール」と位置づけ、アメリカ国内で保守派の反対にあって実現しきれなかった理想を日本で実践しようとした。その結果、労働者の権利を保障する労働三法の制定、寄生地主制を解体して自作農を創出した農地改革、さらには経済の民主化を促した財閥解体や独占禁止法の制定などが一気に推進された。今日の日本社会の民主的枠組みの多くは、このニューディール精神を源流としている。