金銅像 (こんどうぞう)
【概説】
銅で形を鋳造したのち、その表面に金メッキ(鍍金)を施して黄金色に輝かせた金属製の仏像。飛鳥時代における仏教公伝以降、渡来系技術者の手によって数多く制作され、古代日本の造仏活動および初期仏教美術の主流となった技法である。
水銀と金がもたらす黄金の輝き:金銅像の技術的特質
金銅像(金銅仏)の制作には、高度な金属工芸技術が必要とされる。基本的には蝋型(ろうがた)鋳造法と呼ばれる技法が用いられた。これは粘土でつくった原型(中型)のまわりに蝋を塗り、その上にさらに外型を被せ、熱を加えて蝋を溶かし流した隙間に溶融した銅を流し込むものである。
こうして鋳造された銅像の表面に、金と水銀の合金(アマルガム)を塗り、火であぶって水銀だけを蒸発させて金を吸着・定着させる鍍金(ときん)という技法が施された。この化学反応を用いた最先端のハイテク技術により、当時の人々は目も眩むような黄金の仏の世界を現出させた。この技術の導入は、当時の日本(倭国)の金属精錬・加工技術を飛躍的に向上させる契機となった。
飛鳥仏教の象徴と鞍作鳥による金銅仏の展開
6世紀中葉の百済からの仏教公伝以降、蘇我氏などの崇仏派貴族や王権を中心に造仏活動が本格化した。その初期において主導的な役割を果たしたのが、渡来系技術者集団である「鞍作部(くらつくりべ)」出身の鞍作鳥(くらつくりのとり/止利仏師)である。
止利は推古天皇の勅願によって日本最古の本格的寺院である飛鳥寺(法興寺)の本尊飛鳥大仏(釈迦如来像、609年完成)を制作した。この飛鳥大仏は現存する最古の金銅仏であり、度重なる後世の修補を経つつも、当時の堂々たる風格を今に伝えている。また、彼の代表作である法隆寺金堂釈迦三尊像(623年)も代表的な金銅像であり、杏仁形の目や古拙な微笑(アカイック・スマイル)、左右対称で鋭い衣文など、中国の北魏の彫刻様式に影響を受けた飛鳥彫刻の到達点を示している。
国家の成熟と巨大金銅像への系譜
飛鳥時代を通じて制作された金銅像は、単なる宗教信仰の対象にとどまらず、国家や豪族の権威を視覚的に示すシンボルであった。飛鳥時代後期(白鳳期)になると、従来の北魏様式から脱却し、初唐の写実的でふくよかな様式を取り入れた薬師寺東院堂聖観音立像などの優美な金銅像が制作されるようになる。
こうした飛鳥・白鳳期における金銅像造立の技術的・精神的蓄積が、のちの奈良時代(天平文化)における国家最大のプロジェクト、すなわち東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)という巨大な金銅像の建立へと結実していくのである。