違憲立法審査権

最高裁判所をはじめとする裁判所が持つ、法律や行政処分などが憲法に違反していないかを判断する権限を何というか?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
違憲審査制(Wikipedia)

違憲立法審査権 (いけんりっぽうしんさけん)

1947年~

【概説】
法律、命令、規則、処分などが、国家の最高法規である憲法に適合しているかどうかを裁判所が審査・決定する権限。日本国憲法第81条に規定され、最高裁判所が「憲法の番人」として基本的人権と法秩序を守るための核心的制度である。

明治憲法下からの司法改革と「憲法の番人」の誕生

大日本帝国憲法(明治憲法)下においては、司法権は天皇の「大権」に属し、裁判所は「天皇の名において」裁判を行う機関にすぎなかった。また、行政を監視するための行政裁判所は司法裁判所とは別個に設置されており、通常の裁判所が行政や立法の行為をコントロールする権限は極めて限定的であった。当然、議会が制定した法律が憲法に適合しているかどうかを判断する権限は、大日本帝国憲法下の裁判所には一切認められていなかった。

しかし、第二次世界大戦後の日本国憲法の制定に伴い、日本の司法制度は抜本的に改革された。特別裁判所(行政裁判所や軍法会議など)の設置が禁止されて司法権の統一が図られ、行政裁判の権限も通常の裁判所に一本化された。この司法権の独立と著しい拡大を象徴するものが、日本国憲法第81条に明記された違憲立法審査権である。これにより、司法府は立法府(国会)や行政府(内閣・官公庁)の行為が憲法に違反しているかどうかを審査し、無効とする強力な権限を得た。なかでも終審裁判所である最高裁判所は、憲法の解釈・適用について最終決定権を持つことから、「憲法の番人」と呼ばれるようになった。

日本の違憲審査制の性格と歴史的判例

日本の違憲立法審査権は、アメリカ合衆国の制度をモデルとした「付随的違憲審査制」を採用している。これは、ドイツなどのように具体的な事件がなくても憲法裁判所が抽象的に法令の違憲性を審査できる「抽象的違憲審査制」とは異なる。日本の制度においては、具体的な権利侵害に関する裁判(訴訟事件)が実際に発生し、その事件を解決するために該当する法令の違憲性を判断する必要がある場合にのみ、初めて違憲審査が行われる仕組みとなっている。

この付随的違憲審査制の性格を決定づけたのが、1952年の警察予備隊違憲訴訟である。警察予備隊の設置が憲法第9条に違反するとして最高裁に直接提訴がなされたが、最高裁は「具体的な争訟が存在しない場合に、最高裁が抽象的に憲法判断を示す権限はない」として訴えを却下した。これにより、日本の違憲審査には「司法権の限界」としての具体的争訟性が不可欠であることが確認された。

日本の違憲立法審査権の行使は慎重であるとされるが、1973年の尊属殺人重罰規定違憲判決(刑法第200条を違憲・無効とした判例)や、衆議院・参議院の定数不均衡をめぐるいわゆる「一票の格差」に関する違憲状態・違憲判決など、国民の基本的人権を守り、法治国家の枠組みを維持する上で、極めて重要な歴史的役割を果たし続けている。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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