フランクリン=ローズヴェルト

世界恐慌後の1933年にアメリカ大統領に就任し、「ニューディール政策」と呼ばれる積極的な不況克服策を展開した人物は誰か?
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★★★

フランクリン=ローズヴェルト

1882〜1945

【概説】
1933年に就任したアメリカ合衆国第32代大統領。「ニューディール政策」を展開し、政府の積極的な市場介入によって世界恐慌からの脱却を図った人物。日本史の文脈においては、満州事変以降の日本の大陸進出を警戒して経済制裁を強化し、太平洋戦争における連合国の最高指導者として対日戦を主導した。

ニューディール政策の展開と世界情勢への影響

フランクリン=ローズヴェルトは、1929年の世界恐慌による未曾有の経済危機の中、1933年にアメリカ合衆国大統領に就任した。彼は従来の自由放任主義から転換し、政府が積極的に市場へ介入するニューディール政策(新規まき直し)を展開した。全国産業復興法(NIRA)や農業調整法(AAA)の制定、テネシー川流域開発公社(TVA)の設立などを通じて雇用創出と経済の立て直しを図ったのである。一方で、同時代のイギリスやフランスと同様に、アメリカも中南米など自国の勢力圏を重視する経済政策をとった。こうした欧米列強の動きは、資源の乏しい日本に経済的孤立感を深めさせ、結果として日本軍部による「満蒙」や中国大陸への武力進出を加速させる遠因ともなった。

日中戦争の激化と日米関係の悪化

1937年に日中戦争が勃発した当初、ローズヴェルト政権は国内の孤立主義的傾向や中立法の制約もあり、直接的な介入を避けていた。しかし、日本軍が中国大陸での覇権拡大を進めると、アメリカは次第に蔣介石率いる国民政府への支援(援蔣ルート)を強化していく。さらに、1939年に第二次世界大戦が欧州で始まり、翌1940年に日本がドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を締結すると、ローズヴェルトは日本への警戒を決定的なものとした。アメリカは日本に対する鉄くずや航空機用燃料の輸出制限に踏み切り、1941年に日本が南部仏印進駐を強行すると、在米日本資産の凍結および石油の全面禁輸という強力な経済制裁(いわゆるABCD包囲陣)を発動して、日本の軍事行動を強く牽制した。

太平洋戦争の開戦と連合国の主導

日米間の緊張緩和を目指した日米交渉が難航する中、1941年11月、アメリカ側は日本の中国および仏印からの全面撤兵や三国同盟の空文化などを求める強硬なハル=ノートを提示した。これを事実上の最後通牒と受け取った日本は、同年12月8日にハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が開戦した。ローズヴェルトはこの日を「屈辱の日」と呼んでアメリカ国民を対日戦争へと結束させ、不参戦主義の強かったアメリカを本格的な第二次世界大戦参戦へと導いた。戦時中の彼は、イギリスのチャーチル首相やソ連のスターリン書記長らとともに連合国側の最高指導者として戦争を主導し、日本の無条件降伏を目指す方針を固めていった。

ヤルタ会談と日本の戦後体制への影響

大戦末期の1945年2月、ローズヴェルトはチャーチル、スターリンとともにクリミア半島でヤルタ会談を行った。ここでは国際連合の設立構想などが話し合われたほか、ドイツ降伏後のソ連の対日参戦と引き換えに、千島列島や南樺太をソ連に引き渡すという密約(ヤルタ協定)が交わされた。この協定は、その後の日本の北方領土問題の起源となる極めて重大な歴史的決定であった。ローズヴェルト自身は日本の降伏を見届けることなく、1945年4月に脳出血で急死したが、彼が構築した戦後構想は副大統領から昇格したトルーマンへと引き継がれ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による日本の戦後占領政策の大きな枠組みとなっていった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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