ライオン宰相 (らいおんさいしょう)
1870〜1931年
【概説】
昭和初期に首相を務めた浜口雄幸の異名。その特徴的な風貌と、強固な意志をもって困難な政策を断行する剛直な政治姿勢から、民衆によって名付けられた親称である。
風貌と政治姿勢に由来する愛称
官僚出身の政治家であった浜口雄幸は、1929(昭和4)年7月に立憲民政党を率いて内閣を組織した。彼が「ライオン宰相」と呼ばれた最大の理由は、その独特な風貌にある。ぎょろりとした鋭い眼光に、短く刈り込まれた頑強な髪や髭がライオンを連想させた。また、官僚時代から妥協を許さず一貫して信念を貫く「寡黙にして剛毅」な性格で知られており、大戦後の慢性的不況や政党の腐敗に不満を抱いていた民衆は、力強いリーダーシップを期待して彼をこの異名で呼び、熱狂的に支持した。
金解禁とロンドン軍縮条約の「剛直な断行」
浜口は「ライオン宰相」の名にふさわしく、激しい抵抗が予想された二大政策を強い信念のもとで断行した。一つは大蔵大臣の井上準之助とともに緊縮財政を推進し、長年の懸案であった金解禁(金本位制への復帰)を実施したことである。もう一つは、外務大臣の幣原喜重郎が進める国際協調外交を支持し、1930(昭和5)年にロンドン海軍軍縮条約を調印したことである。特に後者は、軍部や右翼から「統帥権干犯」であるとして激しい非難を浴びたが、浜口は一歩も引かなかった。しかし、この強硬な姿勢が反発を招き、同年11月に東京駅で右翼の青年に狙撃され、その負傷が原因で翌年民政党内閣は総辞職し、浜口自身も逝去することとなった。