ダーウィン

1859年に『種の起源』を出版し、自然淘汰による「生物進化論」を提唱したイギリスの科学者は誰か?
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重要度
★★★★

【参考リンク】
ダーウィン(Wikipedia)

ダーウィン

1809年〜1882年

【概説】
主著『種の起源』を著し、自然淘汰(自然選択)による生物進化論を確立したイギリスの自然科学者。彼の提唱した進化理論は明治初期の日本にも導入され、知識人の間に急速に普及した。やがて「生存競争」「優勝劣敗」という概念が社会思想へと応用され、自由民権運動を牽制し国家主義を正当化する社会進化論として、近代日本の国家形成とイデオロギーに極めて多大な影響を与えた。

進化論の提唱と『種の起源』

チャールズ・ダーウィンは、イギリスの測量船ビーグル号での世界周航における観察記録をもとに、長年の研究を経て1859年に『種の起源』を刊行した。彼はこの著作において、生物は神によって個別に創造された不変の存在ではなく、環境に適応した個体が生き残って子孫を残すという自然淘汰(自然選択)のメカニズムによって、長い時間をかけて多様な種へと進化してきたとする「生物進化論」を提唱した。この理論は、当時のキリスト教的創造論が支配的であった西洋社会に根本的な価値観の転換と大激論を巻き起こすこととなった。

モースによる日本への導入と特異な受容

日本史の文脈においてダーウィンの理論が重要な意味を持つのは、それが明治期の思想史に与えた衝撃である。日本に本格的な進化論をもたらしたのは、1877年(明治10年)に来日し、大森貝塚を発見したことでも知られるアメリカの動物学者エドワード・S・モースであった。モースは新設されたばかりの東京大学で動物学を講義するなかで、いち早くダーウィンの進化論を紹介した。

西洋では宗教的な激しい抵抗に直面した進化論であったが、一神教的な絶対神による天地創造の教義を持たない日本では、宗教的・思想的なハレーションを起こすことなく、比較的すんなりと合理的な科学知識として受容された。むしろ、新しい西洋の学問として知識人層の知的好奇心を刺激し、「野蛮から半開、そして文明へ」と進む文明開化の進歩史観と親和性が高かったため、近代化を推し進める日本社会において爆発的に普及していったのである。

社会進化論への転化と自由民権運動への影響

ダーウィンの理論は、本来あくまで生物学の枠内に留まるものであったが、やがて人間の社会や国家の歴史にも適用される社会進化論(社会ダーウィニズム)へと変質していった。特にイギリスの思想家ハーバート・スペンサーらの影響を通じ、「生存競争」や「優勝劣敗」といった概念が人間社会の法則であると解釈されるようになった。

明治10年代の日本では、啓蒙思想家であった加藤弘之がこの社会進化論を強烈に受容した。かつては天賦人権論を唱えていた加藤であったが、1882年(明治15年)に著した『人権新説』において、人間社会もまた優勝劣敗の法則に支配されていると主張し、天賦人権論を「妄想」として真っ向から否定した。強者(国家や権力)が弱者を支配するのは自然の理であるとするこの思想は、当時高まりを見せていた自由民権運動に対する理論的な弾圧の根拠として利用され、明治政府の国家主義や権力主義を正当化する役割を担った。

帝国主義的対外膨張のイデオロギーへ

ダーウィンの進化論から派生した「弱肉強食・優勝劣敗」の世界観は、国内の政治体制を基礎づけただけでなく、やがて日本の対外的な国家戦略をも規定していくことになった。19世紀末の帝国主義時代において、列強諸国による植民地獲得競争はまさに国家間の「生存競争」として認識された。

明治政府が掲げた「富国強兵」の国是や、日清・日露戦争を経て大陸へと権益を拡大していく日本の対外膨張政策は、激化する国際社会の生存競争を勝ち抜くための必然的行動として、国民に正当化されていった。このように、ダーウィン自身の意図を越えたところにおいて、進化論は近代日本の国家主義的イデオロギー形成の中核的要素となり、その後の日本近代史の針路を思想面から強力に決定づけたのである。

種の起源 (上) (光文社古典新訳文庫 Dタ 1-1)

生物の多様性と変遷を解き明かし、近代科学の転換点となった生命進化論の記念碑的古典。

進化論の時代――ウォーレス=ダーウィン往復書簡

世紀の大発見に至る知の格闘を、二人の先駆者が交わした往復書簡から辿る貴重な資料的書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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