スタグフレーション
【概説】
不況(景気後退)とインフレーション(物価上昇)が同時に進行する経済現象。日本においては1973年の第1次石油危機(オイルショック)を契機に発生し、戦後続いた高度経済成長の終焉と、その後の安定成長期への移行をもたらす契機となった。
第1次石油危機と「狂乱物価」の発生
1950年代半ばから始まった日本の高度経済成長は、安価で潤沢な原油の輸入を前提として成り立っていた。しかし、1973(昭和48)年10月に勃発した第四次中東戦争を契機に、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)などが原油価格の大幅な引き上げと供給制限を実施した。これにより、日本は第1次石油危機(オイルショック)に見舞われることとなる。原油価格の暴騰は、エネルギーや原材料を石油に依存していた日本国内の生産コストを急激に押し上げ、激しいコストプッシュ・インフレを引き起こした。物価は急速に上昇し、トイレットペーパーや洗剤などの生活必需品の買い占め騒動が発生するなど、社会は「狂乱物価」と呼ばれる大混乱に陥った。
マイナス成長とスタグフレーションの現出
急激な物価上昇を抑制するため、田中角栄内閣およびその後継の三木武夫内閣は、公定歩合の引き上げなど強力な総需要抑制策を実施した。しかし、原材料費の高騰と金融引き締めは企業の生産活動を著しく停滞させ、景気は急速に冷え込んだ。その結果、1974(昭和49)年度の実質経済成長率はマイナス1.2%となり、戦後初のマイナス成長を記録した。通常の景気循環論では、不況期には需要が減退するため物価は下落するとされていた。しかし、この時期の日本は「深刻な不況」と「激しい物価上昇」が並行するスタグフレーションの状態に陥った。この事態は、日本の戦後復興と繁栄を支えた高度経済成長が完全に終焉を迎えたことを意味していた。
「減量経営」と産業構造の転換
スタグフレーションという未曽有の危機を乗り越えるため、日本の産業界は抜本的な体質改善を迫られた。各企業は、採用抑制や人件費の削減、過剰設備の廃棄を進める減量経営を徹底した。同時に、省エネルギー技術の導入や、マイクロエレクトロニクス(ME)技術を活用した工場の自動化(FA)投資を活発に進めた。この結果、日本の産業構造は従来の鉄鋼や化学といったエネルギー多消費型の「重厚長大」産業から、自動車、半導体、精密機械などの省エネ・高付加価値型の「軽薄短小」産業(知識集約型産業)へと急速に転換していった。こうした官民を挙げた強固な適応力により、日本は他の主要先進国よりも早期にスタグフレーションを克服し、1970年代後半からは実質成長率4〜5%前後の安定成長期へと移行することに成功した。