サラゴサ条約 (さらごさじょうやく)
【概説】
1529年にスペインとポルトガルの間で結ばれた、太平洋・アジア方面における両国の勢力分割線を定めた条約。大西洋側に境界を引いたトルデシリャス条約(1494年)に続き、地球の反対側にあたる東半球での境界を画定した。この条約により、日本を含むアジア地域へのヨーロッパ勢力の進出方針が規定され、その後の南蛮貿易やキリスト教布教の展開に決定的な影響を与えることとなった。
モルッカ諸島を巡る対立と条約の締結背景
15世紀末以降、大航海時代の幕開けとともにスペインとポルトガルは世界各地へ進出した。1494年のトルデシリャス条約により、大西洋上に勢力分割線が設けられ、東側がポルトガル、西側がスペインの領有とされた。しかし、1522年にマゼラン艦隊が史上初の世界周航を達成し、地球が球体であることが実証されると、アジア側における両国の「裏側の境界」をどこに設定するかが深刻な問題として浮上した。
特に焦点となったのが、莫大な富を生み出す香辛料の主産地であるモルッカ諸島(現インドネシア)の領有権争いである。当時、資金不足に悩んでいたスペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)は、ポルトガル王ジョアン3世との間で妥協を図った。その結果、ポルトガルがスペインに35万ドゥカートの補償金を支払うことと引き換えに、モルッカ諸島の東方に新たな境界線を引く「サラゴサ条約」が締結された。
アジアにおける勢力圏の確定と日本への歴史的影響
サラゴサ条約で定められた境界線は、モルッカ諸島の東方(東経145度付近)を通る子午線であり、この線の西側(アジア・インド方面)がポルトガル、東側(太平洋・アメリカ方面)がスペインの支配領域となった。これにより、モルッカ諸島の獲得に成功したポルトガルは、アジアにおける香辛料貿易の独占権を国際的に認められることとなった。
この境界線は、北半球においては日本の東方海上を通過していた。したがって、日本はポルトガルの勢力圏内に位置付けられることとなった。1543年の種子島へのポルトガル人漂着(鉄砲伝来)や、1549年のイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによるキリスト教伝来が、いずれもポルトガルの支援や交易ルート(インド航路)を通じて行われたのは、このサラゴサ条約による枠組みが存在したからである。後にスペインがこの条約の不文律を破る形でフィリピンを領有し、マニラを拠点に日本への接近を図る(サン=フェリペ号事件など)が、戦国時代から安土桃山時代にかけての初期の日欧交渉においてポルトガルが主導権を握り続けた背景には、この条約による国際秩序があった。